妹たちは、本当は何がしたかったのだろうか?
恐らく彼女たちの願う姉の姿は、
・10年前に父に2,600万のお金を借りたまま返さなかった。
・親のお金を盗んで、そのあぶく銭で裕福に暮らしている。
・実家の物を次々にメルカリで売りさばきお金に困っている貧困家庭。
・実家のトイレットペーパーや生活用品を自分の家に持ち帰るセコい。
・警察に息子を売り、常に警察を呼ぶ。お金の亡者で、お金に困っている。
・スリッパに画鋲を刺し、掃除機に爪楊枝を刺して、妹を陥れる。
・両親を洗脳し、認知症だと平気で公言する。
・両親の年金を狙っており、そのお金で贅沢に暮らそうとしている。
・実家に来て、親のお金でデザートまで食べ、食費を浮かしている。
・あわよくば実家を売って自分の物にするため家を狙っている。
・実家から権利書を盗み、父の家計簿と借用書を盗む。
・子どもの頃は、歯磨き粉を付けた鮭を妹に食べさせようとした。
・虫を食べるように強要し、妹はそれがトラウマになっている。
・姉が妹をいじめたことを思い出し妹たちはフラッシュバックしている。
・マンション引っ越しの際には掃除もせず廊下に物を出したまま迷惑をかけた。
・お風呂も台所もトイレ掃除もせず汚いまま引っ越した。
・妹のシマシマの服を盗み、傘まで盗んでいた。
・その全てを妹が姉に立ち向かい成敗し、悪事が明るみに出る。
結果、姉は「因果応報」の報いで、あわれな末路を迎えてほしい。
姉が落ちぶれていくのを見て笑う妹達。
そういった姿を毎日神に願い姉を呪い、夢見ていたのだろう。
そう言えば、今ふと思い出した。
私の会社は合併したので今は市内勤務から工業地帯勤務に事務所が変わった。
そこには併設で工場もあり、橋梁の製作をしている。
名奈は、わざわざ私に向かって、
「是非、定年まで行って下さい。お工場までね!」
と言っていた。
工場に「お」をつけることで、からかい見下したかったのだろう。
どこで働こうが、どんな仕事をしようがその人の本質とは関係ない。
その人を決める基準は職場の場所ではない。
その人の本質や価値を決めるものではない。
ポロリと口から出る名奈の言葉は、自身が普段は仮面をかぶって口に出さないが、心の奥底では彼女は常にそういう、人を判断する基準があるのだと思った。
どこの大学を出てどこで勤めどこの会社で働きどこの場所で働くのか。
そう言うブランドという肩書きだけで人を見ている。
その人がどういう人で、どういう考えを持ち、信用できる人なのか否か、どういう「人となり」なのか。
そこはどうでもいいのだろう。
今となって思う。
日々、何も起こらない平凡な毎日は果たしてつまらないのか?
いや、何も起こらない平穏な毎日こそが、毎日を健康に過ごせ、小さな笑いで心が温かくなるそんな毎日が、本当はとても有り難くいちばん幸せなことだと思う。
コロナという大きな社会現象によって、人は色々な影響を受けた。
そして、その影響は「ストレス」を産んだ。
両親のコロナ入院がきっかけで色々な難問が浮き彫りになった。
・入院により両親の認知症が発覚し進行した 。
・父が寝たきり要介護5になってしまった。
・自分の時間、家族と過ごす時間が拘束された。
育った環境は同じでも、両親と過ごした日々より自分の家族との生活が長くなってしまった兄弟関係。
本来なら、兄弟(姉妹)間の絆、そして相互協力の腕の見せどころなはずだった。
人は色々なストレスの中に存在する。
ストレスを作っているのは誰か?
ストレスをどこに持って行くのか?
全く同じ、
「出来事=ストレスの原因」
があっても、そのストレスに対して感じ方は人によって差がある。
「ストレスを感じためこみやすい人」
・・・いつまでもくよくよ悩む。→何もかもが嫌になる→存在すらも否定→そのことしか考えられなくなる。→どんどん泥沼に入り込む。
「ストレスを感じにくくためこまない人」
・・・元々くよくよ考えない。→気持ちの切り替えスイッチを上手く使える。→サッとそのことを忘れる。→気分転換できる。→そもそもが原因自体がストレスではない。
この違いは何だろうか?
実は「自分自身がストレスを作っている」ことにあるんじゃないだろうか?
嫌だ嫌だと思い込んで、自分自身の気持ちをどんどん窮地に持っていき、自分の中にある嫌な気持ちをいっぱいに埋め尽くす。
もともと、ストレスは小さな存在なのに、それを巨大に膨らませているのは自分自身なのだと思う。
名奈も早奈も同じく、介護は完全にストレスだった。
たとえストレスがあろうと、自分という軸まで変えて前が見えなくなってしまってはいけない。
「人として大切なこと」は、まさにその点にある。
常に自分が人として正しいのか、間違えているのか、その判断の軸は、決して揺らいではいけない。
ストレス発散先を「他の人に転換すること」は、おかしい!
やがて、「おかしいことをおかしいと言えなくなる世界」を作り出す。
もしも、自分のその間違いに気がついた時には、途中でもいいから素直に認め謝罪するチャンスは何度か訪れる。
そのチャンス時に、切り替えスイッチを押せるのか、押せないのかはその人の
「人となり」であり「生きていく勇気」
なのだと思う。
自分の間違いを認め謝罪することを恐れて、そんなみっともない事は出来ないとプライドがじゃまし、そのまま進めば、必ず自分の嘘を嘘で塗り固める事になる。
やがて、その嘘がおおごとになり、その
「自分の作り出した妄想に毎日怯えて暮らす」
ことになるだろう。
名奈が早口で機関銃の様にドナリチラシ、姉に一言も喋らせないようにしたこと。
最終的に、
「私は平気で謝れる人間ですから。」
と息子と娘、見も知らぬ息子の彼女さんの前で、頭を道路に擦り付け、土下座を何度もしたこと。
その翌日、私にその土下座を説明するために、何度も何度も「土下座」の言葉を口にする度に、
「説明するための動作の土下座」
をしたこと。
それは、私の目の前で繰り広げられる
「如何にも滑稽で奇妙な姿」
だった。
浮腫んだ目で、
「もう誰かに取りつかれてる。
だけどな、あんたの生き霊に取り憑かれてるねん。」
と言った。
早奈がただ、私達が実家に来て、両親と一緒にご飯を食べたことを妬んで、ドナリチラシてきたこと。
病院で聞いてきたと最後まで言い切って譲らず、体力の弱った父を
「お父さんを1週間絶食させる」
と言い切って、最後まで謝らなかった挙げ句、「介護やめます!」と言い出したこと。
画鋲を刺したり、爪楊枝を刺したり細工して、人を陥れようとしたこと。
早奈しか知らない話題や、快く手伝って貰った30年前の引っ越しの話しをねじ曲げて、名奈に吹き込んだこと。
最終的には、父の脳梗塞の退院後の話し合いをしようとしただけなのに、
「殺される-!助けて-!刺される-!」
とキチガイの様に叫んで玄関に突進し、他人の車に籠城したこと。
全てが、自らが作り出した妄想に毎日怯えて暮らし自分を自分が追い込んでいたから起こったことだと思う。
本当なら、裁判を起こしてとことんまで妹2人を訴え、自分の潔白と賠償金を勝ち取る方法もあった。
もちろん、100%私には非がないので、今からでも勝訴する自信はある。
ただ、そこまでしないのは、私が彼女たちの姉であり、両親に育てられた子どもであり、妹たちへの、せめてもの「情け」の気持ちがあるからだ。
世の中には白黒をはっきりさせる必要がない場合もあると自分で納得している。
「法」で彼女達を裁けば気が済むが、それは妹たちへ「仕返し」することになる。
もう、白黒はっきりさせなくても、私が白であることは明白だから。
妹たちに必死になって「仕返し」するほど、私はそこまで腐っていない。
「人として出来ることは、『ここまで』が限界だ」
と悟ったからだ。
平和になった我が家で先日、「DV父親が孤独死、息子が遺品の懐中時計を受け取ったら取り憑かれてしまった」という内容の番組をたまたまTVで見ていたら、私も娘も同じことを考えていた。
先に私が口を開いた。
「なんかさぁ~。早奈ちゃんと名奈ちゃんの豹変ぶりと通じるところがあるよね。怒鳴る時の表情は、まさに人じゃないと感じた。」
と言うと、娘が、
「私も同じ事を考えてた。あるんじゃないかな。そういう亡くなった人の強い思いは、人に憑依するみたいな事。きっと家を売ったことをひいおばあちゃんが怒っていたのかもしれないね。」
と言った。
私は結局、実家から手を引いた。
どうしようもない運命の流れに呑まれた結果だった。
今まで書いた全107話の出来事は、全て私の身に起こった実話です。
たった2年ほどの出来事でしたが、私の人生の中で1番、強烈な出来事でした。
そして私は明日の108話でペンを置きます。
最初は、全てを書き残せるのか心配でしたが、1日、1話のペースでコツコツと書き続けられました。
わずかな間でしたが、読書登録して下さった方々、★を下さった方々、応援や心配のコメントを下さった、皆さま本当にありがとうございました。
学生さん、独身世代、子育て世代、私と同じような世代、少し先輩の世代、いろんな人がそれぞれ存在すると思います。
もしも、人とのトラブルで迷った時に思い出してください。
今、自分の考えや行動は正しいのか、間違っているのか。
もしも、100人の人に聞いて、ほぼ99人の人が間違えていると答えが出るような、明らかに間違っている自分に気づいたのなら、相手に心から謝る勇気を持ち続けて下さい。
そうすれば、あなたの心はスッキリして気持ちの良い明日を迎えられると思います。
ありがとうございました。