人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第105話 最後の闘い

騒動があった翌日、娘の助言もあり「特定記録」の書類を早奈の旦那さん、名奈の旦那さん宛に送った。

内容は、

①「決定事項の告知」と書いた、娘、息子、警察官2名、ケアマネージャー、母が同席して口頭で取り決めした約束に関して書面にしたもの。

 

② 調停当日のために用意した、莫大な書類の中から、父の家計簿を集計した書類の鑑の部分のコピー(この書類を見れば、父が10年間で2,600万円を全て使ってしまったことがわかる。本当は調停でその集計の裏付けとなる書類を全て用意していた。)

 

③ 父の家計簿の記録から見える、私が父から600万しか借りていなかった形跡

 

この3点のみを送った。

 

何故、旦那さん宛だったのかは妹たちは、私に言わせれば、話が通じる相手ではなく、(言い方が非情に悪いが)完全に感覚が狂ってしまっているからだ。

長い闘いだったが、結局、自分が描いていた未来とはかけ離れた悲しい結果になってしまった。

 

闘いと書いたものの、結局私は、名奈と早奈に怒鳴り散らされ、嫌がらせをされ、やられっぱなしだった。

 

実家は、私の妹である早奈と名奈の望み通りの世界になったと思う。

父の財産を狙う心の底から憎む姉は2,600万円を騙し取っていなかったことは明らかになっただろう。

ここまで示してもまだ、姉が犯人だと言うのならもうそれでいい。

ただ、これからは両親の年金も姉には狙われないし、実家の物を盗んだり、メルカリで売ったりもされないし、心の底から憎き姉だけでなく、毛嫌いしていた娘も孫も実家圏内に一歩も立ち寄ることはない。

 

二人が必死で嫌がらせや、ドナリチラシをする標的が完全にいなくなった。

これで気が済んだね。

これで良かったね。

 

このブログに真実を書いた事もどうなるのか(仕返しの)不安もある。

両親に対しては、無責任かもしれないがこれが運命としか言いようがない。

兄弟を沢山作っていたおかげで、お父さん、お母さんには、弟、早奈、名奈がいるので、そちらに任せるしか、私の力ではもうこれ以上の力は及ばない。

逆に「よくここまで頑張った自分!」と褒めたいくらいだ。

 

封書に宛先は書いたので、書面にはあえて宛先は書かなかった。

特定記録で告知した文章の内容そのまま。(名前は仮名)

 

令和5年9月7日

決定事項の告知

 

 令和5年9月6日(水)父親の脳梗塞退院時に際して、(清水早奈)の通報により警察官10数名動員の騒動が起きました。

 

(○○市○○○1-11-1父の名前)宅において、過去数回の警察通報もあり、

9月6日当日、(清水早奈)は、運転席に乗車していた近隣に住む老婦人の車に突然乗り込み、籠城する大変な騒動となりました。

 

このような事態を避けるため最善の措置として、(母の名前)、(娘の名前)、(息子の名前)、警察官2名、ケアマネジャー○○○○様同席のもと今後同様のトラブルを回避するため、母、(母の名前)の強い要望をふまえ決定いたしました。

 

内容を下記に記します。

 

1. (私の名前)及びその家族(2親等、以下その家族)は、両親の自宅圏内に立ち入らない。同様、(清水早奈)、(井山名奈)の自宅圏内へも一切立ち入らない。

 

2. (清水早奈)、(井山名奈)は 1. 同様、危険回避のため(私の名前)本人、及びその家族への接触を一切禁ずる。及び、(私の名前)の自宅圏内への立ち入りも禁ずる。

 

3. (私の名前)は、両親に関わる年金による貯蓄、家、土地、物、全ての財産について放棄します。

 及び、2ヶ月に一度の両親の主治医問診費用、新聞代他、(私の名前)が立て替えた約15万円に関しては、請求致しません。

 

4. 1.の理由により、両親の介護についても今後一切、(私の名前)はかかわらないことを確約しました。

 

私の名前 

 

私はその場にいなかった。

 

早奈が自ら警察を呼び、近所に響き渡るほどキチガイみたいに金切り声を上げて叫んだ日、あちこちから出てきた野次馬の人だかりができた。

10人ほど来た警察官の中で、実家の事情をよく知っている警察官2人、ケアマネさん、立ち会いの元、娘、息子、そしてその中の重要なキーパーソンが母だった。

 

母がその場で「姉家族は実家に一切来ないでほしい。」と言った。

この言葉の意味は、母がその頃よく言葉にしていた、

「もう、ややこしいあなたたちは、ここに来ないでちょうだい。」

と繋がっている。

しかも、その頃は、私は実家の鍵をもらってないのに、母は家をなかなか空けてくれなくなっていた。

 

この言葉は、

「妹たちに洗脳されてしまった母が、私を毛嫌いして本気で吐き捨てた言葉なのか?」

「妹たちの攻撃から救うために母が、私を解き放つためにわざと言った言葉なのか?」

一体どちらだったのだろう。

はたまた、

神様がもうあなたは十分頑張った。もうこれ以上やることはないと、母の言葉を借りて伝えてくれた言葉なのかもしれない。

 

何もかもが、偶然の重なりのようで、実は綿密に計画されたストーリーの組み合わせのように展開したのが不思議に思う。

 

前日の名奈とのやり取り、落胆した気持ち、調停の日、父の退院の日、息子が突然来てくれたこと、早奈が実家にいたこと、籠城騒ぎ、警察官、母の言葉、介護から手を引く、どれかが欠けてたらこうはならなかった。

 

私が警官との話し合いの場にいたら、介護をやめると言わなかっただろうし、息子が来てなければ、そもそもそこまで話は進まなかった、早奈が籠城しなければそこまでにはならなかった、名奈が話し合いさえしてくれれば違った方向に向いたはず、妹たちが調停に来てくれたなら和解できた、全部がなるようにしてなった誰かに導かれた結果だとしか考えられない。

 

複雑なパズルは一片、一片が重なりやがて一枚の絵が完成するかのように…。

 

いずれにしろ、常に私の心の中を占領していたやり場のない心の固まりは消えた。

 

ただ、両親に会いたいし、父の容態や母が元気にしているのか、認知度は進まないで保たれているのか気になる。

1人になると無性に泣きたくなる時もある。

だが、一切を弟、妹たちに任せて、これからの自分の人生を歩もうと決めた。

たとえ、両親の最後に会えなくても、その知らせが来なくても、諦めよう。

沢山の想い出を今まで両親と一緒に作って来た。

自分の事を全て後回しにしても父の気持ちを常に優先してきた。

 

父は丁度68歳で仕事を辞めた。

それ以前から父とはメールも沢山やりとりしたし、父の定年から丁度20年間で両親とは色々な場所に行った。

息子のカヌーの試合は、地区予選、各競技大会では、大阪府滋賀県京都府、インターハイでは、石川県、大分県山梨県と3年間ずっと父と主人と約一週間の間、一緒に応援に行った。

ディズニーランド、ディズニーシー、ユニバーサルスタジオも何度も一緒に行った。

30年勤続で、会社から30万円もらった。

このお金にプラスして、家族全員+孫3人+両親を招待して2017年4月には、ハワイに1週間遊びに行った。

 

 

他にも弟による父への嫌がらせ時期からコロナ禍までは父とあらゆる場所に毎週遊びに行っていた。

 

早奈も名奈もそういう意味では、両親と一緒に旅行には行っていない。

弟の昌幸は一度も両親をどこかに連れて行ってあげることはしていない。

今となっては、両親と一緒に旅行は到底無理だろう。

そう考えると心に残る想い出は沢山ある。

 

もはや両親と会うのは恐い。

壺の蓋を閉めてしまって中を絶対見ないように封印してしまったから。

 

早奈のサイバー攻撃を受けて、たった半年会わなかっただけで両親の体力、認知機能の低下や、ルビーちゃんのガリガリ痩せた姿を重ねてしまうからかもしれない。

 

名奈が自分の子どもに常に言っていると自慢していた言葉を思い出した。

 

「自分を常に優先しなさい。自分の事をきちんとやりなさい。自分の事が出来ていないのに、人の手助けなんてできないから。おじいちゃん、おばあちゃんの事は自分の事が出来てから。」

 

私に言わせれば、祖父、祖母と会わなくていい、手助けさえ必要ない都合のいい理由だと思った。

まさに、私は自分の事は一切ほったらかしにして、常に両親の気持ちになって、手を差し伸べるのか、差し伸べないのかを常に考えて、工夫し、自分のできる限り背伸びして、両親に精一杯の気持ちを込めて寄り添ってきた。

それは、我が身よりも子を優先する子育てする親の気持ちにとてもよく似ていた。

事の前後がわからなくなってしまった両親にずっと寄り添って生きていこうとしていたから。

 

名奈の言葉を借りれば、これからは、「自分の事」をするべきなのだろう。

 

1つだけふと思った事がある。

両親に家もなく、財産もなく、年金もなかったら良かったな。

そうすれば、金銭的な負担は私達子どもにかかってきたかもしれないが、こんなに悲惨な妹2人からのドナリチラシに逢うこともなかった。

なまじ、家があり、年金も充分に暮らせるほどもらっていたので、妹たちから年金狙いだと言われ続けた。

もしも、それらがなかったとしても私は手を上げたと思う。

両親の介護を私に譲ってくれたなら、その対価として何も望まないから、純粋に本当にずっと一緒にいたかった。

お父さん、お母さんが、大好きだから。

 

 

↑ 全て書いた妹たち宛に手紙は、よほど腹がたったのか強くねじり握りつぶされて、

 押し入れの 布団の下の奥の方に隠されていた。

 この手紙も見つけたので、写メを撮ってまた元に戻した。

 この紙を私が見つけ、名奈の書いた返事を私が見た事を本人は知らない。

 

父の事が一番心配だった。

 

本当は、この騒動があった翌日、ケアマネさんから突然携帯に電話が入った。

「妹さんからの伝言です!お父さんがまた救急車で今から運ばれます。伝言を頼まれただけなので事情はわかりません。」

という連絡だった。

 

最後の最後まで自らの連絡でなく、ケアマネさんを使って伝言してきた。

だがもう、父のことに関して私にはこれ以上協力できなかった。

しかも、ケアマネさんから言われたその情報だけでは何も動けなかったし、どこの病院に行ったのか状況を聞きに実家に行く気にはなれなかった。

電話も兄弟全員が着信拒否しているので、為す術はなくなってしまっていた。

その上、自らそうしないと書いて送ったのだから。

 

その後どうなったのかも連絡がなかった。

 

とある日、介護レンタルのダスキンから私の携帯に電話があった。

「トイレに手すりをつける件なのですが。」

という内容だった。

おそらくキーパーソンが姉のままだったからだろう。

少し内容を少し聞いてみたら、父のためにトイレに手すりを付けるようだった。

 

三女の方に電話して下さいと伝えた。

父が実家で過ごせていると思いそっと胸を撫で下ろした。

 

後日談だが、年が明けて2024年になってから、娘が風邪でS医院に行った際に先生から聞かされた内容を、ポツリと話してくれた。

それは、私が風邪気味なのでS医院に行くと言った時だった。

 

え・・・。

内容を聞いて愕然とした。

しかも、今更話すか。(笑)

 

父が脳梗塞で退院する前日に、母、弟、名奈、早奈で夜、面会時間外に病院に押しかけて行ったらしい。

何故、父の入院している病院がわかったのか。

早奈が自分の娘を使って探りを入れて来たからだっだ。

娘と息子が退院の用件を名奈の自宅まで話しに行った翌日、早奈の長女から私の携帯にお昼間突然電話があった。

「○○ちゃん(私の名前)お久しぶり。あの~おじいちゃんが入院したって聞いたんだけど、それってどこの病院なの?」

と聞いてきた。

私は、早奈の長女に対して何のわだかまりもなかった。

しかも、一人暮らしで地方におり、絶対に私に電話してくるような子でもなかった。

可愛い姪っ子に対して包み隠さず、

「○○ちゃん元気にしてるの?おじいちゃん大変だったんだよ。循環器病院に運ばれたよ。14時から面会が出来るけど人数に制限があるよ。詳細は病院に電話して聞いてみたらわかるよ。」

と伝えた。

実際に病院名はきちんと妹たちに伝えたかった事だし、その内容が、早奈、名奈に伝わるのは承知の上だった。

 

それで、入院している場所がわかり、循環器病院の担当医に会いに行った。

しかも、2人までの面会なのに、弟、母、妹2人の4人で行っている。

各自の仕事が終わってからなので、面会時間は既に終わっている時間なので夜に。

無理矢理病院入って、「父を退院させろ!」と担当医に詰め寄り、病院内で大騒ぎしたらしい。

 

担当のお医者さんは、完全に怒ってしまい、その騒動の内容の一部始終を「診療情報提供書」に書いた。

それが、主治医のS医院に渡してほしいと私が預かった手紙だった。

 

だから、退院の前日夜と当日にわざわざ担当医から確認の電話があったのだ。

「退院のお迎えは、妹さんでなくキーパーソンである長女さんが必ず来て下さい」

と何度も念を押された意味がわかった。

退院の際、一通りの説明はもらったが、担当の先生の態度が以前と違って、何気に素っ気なく感じた原因がそこにあったのだ。

 

その書類は、5度目の警察沙汰の騒ぎで、早奈に直接渡せなかったので、ケアマネジャーさん経由で早奈の手に渡った。

その手紙を持って翌日、名奈がS医院に行ったらしい。

 

4回目の警察沙汰の際に、私の家に襲撃に来る前、名奈はS医院に怒鳴り込みに行っており、そのことは、先生も看護師さんも覚えている。

その上、名奈はS先生が処方した糖尿病の薬を毎回捨てて飲ませなかった。(そのことは先生に相談していた。)

 

循環器の担当医が書いた、書面には、S先生によると、名奈たちが病院に押しかけて来た迷惑な内容を一部始終書類に書き加え、もし父の病気が再発しても当院は一切を責任負えませんという内容が書かれていたようだ。

その内容を踏まえて、主治医であるはずのS医院も循環器病院の専門医がNGを出し、そんなリスキーな患者さんを診ることも、薬を捨てるような信頼を裏切る家族さんとは付き合えない。

今後当院ではお父さんもあなたも一切見ませんとキッパリ断られたようだ。

 

そもそも、自分がドナリチラシに行ったお医者さんに平然とよく行けたものだと思う。

主治医にしていたお医者さんから「出入り禁止」を宣告されるほど恥ずかしい人間もそうそう世の中にいないだろう。

 

名奈は最初からS医院を毛嫌いしていたし、当初から父の主治医を変えると躍起になっていた。

デイケアの病院に主治医変更を断られた時に、全く父のことを知らない、ただ父の脳の検査しただけの大学病院の専門医であるドクターと地域連携で主治医をお願いするとか、全く意味のわからないことを平然と言ってのけたので、自分でなんとかすればいいのでは?と思った。

 

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