人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第106話 私が介護から抜けたこと

えだむらかつみさんの【愛の絵言葉】より

 

恐らく今後、妹、弟に会うことはまずないだろう。

両親とも会う機会はないと思う。

たとえ、両親の命が尽きた、その時でも。

妹たちは、いつまでも姉を恨み続けて日々を暮らすのだろうか。

私は、こんな出来事にフタを閉めようと思う。

 

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もし何も

忘れられない世界で

出会い会ってしまったら

憎み合うのはやめるだろうか

もし何も

覚えられない世界で

すれ違ってしまったら

振り向き合うようになるだろうか

なんて

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Vaundyのmabatakiの歌詞と重なる。

 

「もし何も忘れられない世界」

でお互いが出会ってしまったのなら、

人を憎むことの苦しさに耐えかねて、

相手を憎しむことをやめるのだろうか。

 

「もし何も覚えられない世界」

でお互いがすれ違ったなら、

相手が誰だとも気がつかないから、

憎んだ相手に気づき、

振り向き合えるようになるだろうか。

 

「どこにも見えない敵」を
姉にあてがって
攻撃するの?
ちょっと待って。
私は敵ではない。
間違えないで。
あなたたちの味方だよ。
よく考えてみたら単純にわかること。

しかし、「介護」という、
先が見えない問題にぶつかり、
苦しむ毎日の中で、
彼女たちは怪物になっていった。

そして、私の希望はどんどん薄れてしまう。
悔しさ、妬み、恨みの感情にどんどん心が蝕まれていく。
そんな思いを、姉を敵に回して傷つけることで、
自分の憂さを晴らしていく。

 

姉に対して抱いた感情は、
どんどん歪んだ証拠として、
足並みが揃い始め、
歪んだまま確信へとなる。

疑いは、罵倒となり、
徐々に蝕み、
嫉みを込めて、
鋭い刃で悪意を込めた言葉で
相手をどんどん傷つけ始めた。

ただ、悲しみは増え続け、
攻撃は増すばかり、
ただ、私は泣き止むことすらできない。

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纏う悲しみが今
また人を傷つけてしまう
もう私が先に銃を捨てよう

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妹本人達にもしも下記の事を指摘したら笑って済ませると思う。

実際に、以前本人に姉として注意した時にふざけた態度で早奈は笑っていたから。

 

以前書いた事もかぶるが、

1.早奈は母の美容院代を浮かすため、髪の毛を普通のハサミでズタズタに切っていた。

 

2.早奈は、自分の作った食事を父が残した時、私と娘の見ている前で嫌がる母の口にスプーンで押し込んでいた。

 

3.早奈は父が要介護5の時、リハビリと言って医師でもないのに無理矢理動かない足を動かして、父に首を思い切り引っかかれた。

 

4.昼も夜も父を毎時1時間ごとにトイレに連れて行くというアイデアを無理矢理実行し、結果、早奈自身が仕事中に立って寝ていた。

 

5.私には平日無理矢理担当日に入れて、平日いないことを攻撃したが、早奈は母を1人にして大怪我をさせた。

 

6.父の爪を切る時に誤って指をザックリ切っていた。

 

7.名奈はS医院の先生から処方された糖尿病の薬を捨ててしまった。

 

8.妹たちは15時50までに冷蔵庫を開けて食事し、16時に食べてないと食事を捨てるというカリキュラムを作っていた。

 

9.オムツを節約するため?水着を着せて又にタオルを挟んで過ごさせていた。

 

10.昼間は実家にいない。両親と話す事もなく食事を運ぶ、掃除をする、お風呂に入れることだけが、家族としての介護の役割だと思っている。

 

11.早奈は、父の血便を防ぐために、1週間から10日間絶食させると医者が言ったと言い切り、最後の最後まで自分が合ってると言った挙げ句、「介護やめます!」

と言い出した。

介護のやり方は人ぞれぞれだと思う。

世の中に人の数があるだけ、色々なケースがあり、症状があり、状況がある。

それぞれの考えや思いがあり、どうやって高齢になった両親に寄り添うのかは、その家庭それぞれだと思う。

妹たちの考えと私の考えが一致していた点は「在宅介護」という選択肢だった。

だが、在宅介護をどのようにやるかについては、私が心に思う

「今まで育ててもらった両親への感謝の気持ち」

そこから来る両親へのいとおしさ。

両親の気持ちをなるべくくみ取って寄り添いたいという私の気持ちとは、妹たちの気持ちや感情は、全く異種のものだった。

 

口では、お父さんお母さんを大事にしていると言っているのは間違いないかもしれない。

だが、今までブログに書いてきた現実が全てを物語っていた。

 

そう言えば・・・。

祖父、祖母のお葬式の時にも、

「そんなにおじいちゃん、おばあちゃんとあなた達は想い出がありましたっけ?」

と問いたくなるほど、端から見て恥ずかしくなるほど大げさにいつまでも妹たち2人だけ、オイオイ、オイオイと声を上げて泣いていた。

逆に、私は祖父と祖母との想い出が多すぎて、心の中が空っぽになってしまい、亡くなった現実さえ受け止められず、オイオイと大袈裟に大声を出して泣く妹達を横目に、逆にしらけてしまい、泣く事すら、半ば口を開けて息することすら忘れていた。

実際に皆さんで食事をという場面になると楽しそうにおしゃべりしていた妹達。

あの涙は一体何だったんだろう?と思いぼーっと見ていた事を思い出した。

 

実際に私は母方の祖父の亡くなる瞬間に立ち会っている。

自分が生まれてからこのかた一番最初に「人の死」に接した瞬間だった。

病院で最期の瞬間、先生が「心停止」してから何度かAEDが心臓に電気ショックを与えていたのをどうしたらいいのかわからずにただ見ていた。

 

今から思うと、妹たちのお葬式の仕草が如何にもわざとらしく思える。

 


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父だけデイケアのあった金曜日、母だけ実家に置いたまま担当の早奈は家にいなかった。

両親がデイケアならわかるが母を1人置いたままにした。

母は身体が元気なので、父が家にいれば外には出ないが、母だけだと自分の判断で出掛けてしまう。

母は、1人で散歩に出かけた途中、溝に落ちて大怪我をした。

本来なら買物好きの母なら、好きな物をお買い物しに出かけただろう。

だが、1円もお金はもらっていない。自分のお金なのに・・・。

土曜日に私達が行くと母の顔と手はアザだらけでびっくりした。

 

自分が休みで実家に母しかいない時には、ショッピングやランチや近場でもいいから、どこかに一緒にお出かけに行ってあげればいいのに。

母を1人にしていたことは責めなかったが、おそらく指が折れているので、医者に連れて行ってほしいことは手紙を書いた。

その時、早奈に振らずに自分が母を土日なので救急で整形外科に連れて行くべきだった。

早奈が母を1人にしていた訳だから、連れていくのは当然だと思った。

一切無視だった。

今でも母の指は曲がったまま固まってしまっている。

恐らく、母の左手の人差し指が今でも曲がったままなのを妹たちは気づいていない。

 

母が自分で何でも出来る状態なら、美容院も自分で行けただろう。

指が折れて痛かったのなら、即病院も自分で行っていただろう。

だが、父も母もお金を全て早奈に取り上げられてしまっているし、そもそも自分の判断では何一つ出来ない。

 

父の爪を切る時も不注意で指先の肉を切ってしまっている。

こういった、不注意も一度や二度ではなかった。

私ならこんな不注意は絶対にしない。

どうやったら指を切れるのか呆れてしまった。

特に妹には指摘していないが。

 

 

以前、グループLINEの中で、早奈の旦那さんが、言っていた。

みんな介護の素人が一生懸命にやっていることなので、その中で起きた不慮の事故や怪我の事をお互い責めないようにしようと。

確かにそうだと思う。

わざとじゃない、介護の中でふと起きたケガなどを兄弟から責められたら、介護なんて出来ない。

私も実際に、両親を置いて日曜日の夕方からのフライトで、夏休みに沖縄に行ったのも事実なので何も言えない。

 

妹たちは、嫌がらせを続け姉を罵り、つるし上げ、挙げ句その憎しみは全くその憎しみとは関係のない子どもや孫や家族にまで及んだ。

私が望んだことではないが事の流れで結果として私は介護から完全に抜けることになった。

妹たちは、姉が介護から抜けたことで、もう必死に罵る標的がいなくなって、せいせいしたことだろう。

結局は、和解に向けて仲直りの道はないかと努力したものの何一つ解決しなかった。

私が両親の命が続く限り側にずっと寄り添っていたかったことも、兄弟の誤解を解きたかったことも。

 

運命の流れでこうなってしまったとしか言い様がない。

一連の出来事のどの部分を見ても、結果がこうなるように出来ていたのかと思うほど、うまく事柄が繋がっていく。誰かが綿密に計画していた「計画書」に則って結果まで進んだような気がする。

 

これが、毛嫌いしていた姉を責め、妹たちが望んでいた「最終的な結果」なのだろう。

両親と過ごすという機会だけでなく両親に会えることすら機会を失ってしまった。

 

ただ、それでも約束を破り勇敢にも実家に行き、また機関銃のようなドナリチラシ攻撃を受ける気はない。

 

姉を攻撃するためなら、嘘を本当のように語り、違法だろうと、詐欺だろうと、世間から見えない実家という狭い空間の中でどんな手でも使ってくるだろうから。

私の大事な家族さえも危機にさらされるのなら、私の守るものは子どもたち、孫たちというまた両親とは違う家族だ。

 

親は妹たちに任せるしかない。

両親は4人の子どもを授かり、4人の子どもを愛情を持って育てた。

両親が4人も兄弟を作ったことが、ここで発揮された。

私が!私が!と姉の私が介護に参加したところで、たとえ参加しなかったところで、4人のうちたった1人が抜けただけだ。

そもそも、今まで実質独身のなんとでも動けるはずの弟は一切介護に参加していなかった。

妹たちが「思慮深い人で洞察力に富んだ頼もしい兄だ」と心から尊敬する弟がいる。

今後は、思慮深く、洞察力に富んだところを発揮してもらおうじゃないか。

姉が介護から抜けざる得なくなるように仕向けていったのは、名奈、早奈という妹たち自身なのだから。

 

両親も困ることもないだろう。

2人の女性(双子の妹)に、頼りになる男性(弟)もいる訳だから。

 

もう両親の事で考える事も悩むこともよそうと思う。

 

娘がこう言った。

「おじいちゃんの望みは自分の家に帰りたい、余生を自宅で過ごしたい。それだけだよ。お母さんがいなくてもいいんだから。」

確かにそうなのかもしれない。

 

父に対する私が寄り添って介護してあげたい、父が愛おしいと思う気持ちは本当だったが、裏を返せばただの自分のエゴだったのかもしれない。

父がそれを心から望んでいたかどうかもわからない。

 

・実家にある私を含む家族の想いでの物を玄関の外に放り出された。

・父の介護について、妹たちと話し合う手段を絶たれた。

・実家の鍵さえももらっていないので、両親と出かけられない。

・実家に関する妹たちは年金から捻出している費用も私は貰えていない。

・娘や孫にも被害が及んできた。

・名奈は、コロナ、インフルエンザ、の脅威にあった時でさえ介護しないことを許さず、家に乗り込んで来た。

・早奈は、話し合いをしようと声かけただけで、「殺される!」と叫び、他人の車に籠城した。

 

もうこの時点で私の為す術はなくなってしまった。

 

このブログの中に、今まであった事実を事実として書いて、気持ちをふっきり、自分の残りの人生を楽しみ全うするために歩んでいこうと思う。

 

娘がつい先日ポツリと言った。

あの日、(5回目の警察沙汰の日)実家の状況を知っている警察官が、

「あなたたちは、今後ここに絶対にここに来ない方がいい。ここは本当に危険な場所だから。」

と言っていたと。