人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第40話 双子のやり方

実家での全ての規則を決めるのは、名奈と早奈だった。

実家の頂点に君臨しているから、誰も彼女たちのやり方を咎める人はいない。

両親はまさに名奈、早奈の言いなりだからだ。

全てにおいて、ルールは自分達の都合にあった。

 

確かに、各々の家庭がありそれを犠牲にして実家に来ている。

姉妹が3人もいるのだから、負担は1/3、しかも水曜日(両親)、金曜日(父のみ)デイサービスに行く。

それだけでも、昼食やお風呂などの負担は減るはず。

 

偶然なのだが、常に要領のいい名奈が1番いいとこ取りだった。

仕事が休みの月曜日、水曜日しか介護ができないと先に予定を押さえてしまうから。

たまたまだが水曜日は両親はデイサービス。

そうなると介護はほぼ月曜日のみとなる。

なんだかなぁ。

よく考えたら実に不公平だった。

 

姉妹間の相互の伝達をする方法が3つあった。

①グループLINE

②カレンダー

③ノート

 

① グループLINEは、姉妹以外の旦那さんや子ども達も見られる。

写真や写メなど瞬時に掲載でき説明不要、

「これ見て!」

ですむ。

利便性があるが、言葉は選ばないと誤解を招く。

グループLINEから入ったり退会したりを繰り返す早奈みたいになってしまう。

② カレンダーは、主に予定を書き込んでいたが、途中から土日祝日私に固定されたので、姉の不備なを点を記入する悪口カレンダーみたいになっていた。(笑)

 ↓ ヒゲ×は、私が土日父のヒゲを剃っていなかったから×

父はひげ剃りが当たり痛い!と言ってひげ剃りを嫌がった。

あれだけ嫌がるのに逆に妹たちはどうやっていたのか謎だ。

↓ 悪口カレンダー

↓ 緑色が名奈、青色が早奈、ピンク色が私の担当日

 不公平なく、1ヶ月10日ずつ担当を振られた。

 

カレンダーは日曜日に早奈3回が入と土曜日も1回名奈が入っている。

そのかわり私が平日に5日。

正社員に5日も休暇を取らせる嫌がらせなのか?と思った。

しかも、娘を介護に参加させるな!と言う指令まで出た。

 

ところが面白いことに、土日の家族とゆっくり団らんできる唯一の休みの日を丸1日を介護に時間を取られることは、けっこう大変だとわかったようで、月の途中で変更された。

 

その後私が担当の土曜日、朝9時ごろになると早奈が必ず実家に来た。

毎回ご主人と一緒に来て、必ずピンポンを押す。

(兄弟全員鍵を持っているが、何故なのかその鍵で入って来ない)

娘を連れてきている時もあった。

私が鍵を開けるとすかさず家の中に入ってくる。

「今から主人と一緒に弓道に行くの」

「今からお食事に行くのよ」

と、何度も母に向かって言っていた。

気のせいかもしれないが、私に聞かせたいのかな?と思った。

ちなみに実家に来た理由は、どう考えてもその日に持ってくる必要がない物を届けに来ただけだった。

 

③ 姉妹間相互の最も有効活用していたのが薄ピンク色の表紙のノートだった。

ハッキリ覚えていないが、名奈が言い出したと思う。

 

食事内容、おしっこの回数、伝達事項、アイデアなど自由に書いた。

私は母の認知度についての疑問点も詳しく書いていた。

私は父譲りの書く事が好きだからだ。

お出かけした事、アイデア、疑問点、父のダジャレなど夜中両親が寝静まった頃に一日を思い出しながらゆっくりと珈琲を飲みながら書いた。

言い出しっぺの名奈も、早奈もハッキリ言うと書く内容も食事内容もしょぼく、字も汚くて解読出来ない字で記入していた。

(名奈も自分で認めている:LINE画像参照)

たまたまある1日を記入しなかった。

グループLINEには当日の出来事を詳しく記入していたが、早奈はその時退出中だったのかもしれない。

しかも、娘が担当してくれた日だった。

そこのぺージの部分をわざわざ空白ページを設け付箋を付けて、

「この日!書いてません!」

と指摘された。

ノートは強制じゃない。

書けない日があってもいいはず。

 

だが、書かないのは許せないらしい。

私はもう、その時点でノートの意味を見いだせなくなった。

ノート記入の強制は、もやはノートではない。

丁度一冊の終わり頃という事もあり、名奈に許可をもらいノートは幕を閉じた。

↑ *情報網は、グループLINEの名前

世の中の決まり=ルールを作ったのは人。

みんなが平等で便利になるように決まりを作る。

そのルールという規制に縛られて人が苦しくなるのなら、本末転倒。

ルールで人をがんじがらめにするなら、ルールの存在の意味はなくなる。

ルールなんて解釈を180度変えることもできるただの線引きなのだから。

 

今から思うと記録はずっと付けたかったし、面倒くさくもなかった。

どんなことを書いていたか読み直してみたいなぁと思うが、その願いは叶わない。

 

その頃から、両親は16時迄に夕食、トイレ、歯ブラシ、お風呂、17時には部屋を暗くして就寝し、早奈も名奈も帰宅していた。

金曜日の夜18時ごろ私が実家に行くと真っ暗な中両親は起きていた。

父はいつもベッドから起きてきて。

「お腹空いた。何か食べる物はないか?」

と聞いてきた。

 

実は父は晩ご飯を食べていなかった。

 

父が晩ごはん食べたくないと言うと、片付けて早奈は帰宅していた。

食べなかったのなら冷蔵庫に置いてくれてもいなかった。

きっちり片付ける、食材を冷蔵庫に置かないというルールの方が大事だから、父が夕食を食べていないことは関係ない。

母が小銭を持って、(小銭しか与えられていない)歩いてスーパーにお惣菜を買いに行き、油物が多かったせいか、父が夜もどした事もあった。

その頃早奈から、

「冷蔵庫に物を入れるな!次の人が入れられない!」

条例が下っていた。

だから、実家には明日のパンやお菓子、果物でさえ、一切食べる物がなかった。

私は金曜の夜は、土日の食材と一緒に小さな缶ビールと巻き寿司や煮豆などを買って行き、父とおしゃべりしながら遅めの夕食を一緒に食べた。

 

なんだか、思いやりもへったくれもない、ただ、やらなければならない仕事をイヤイヤやった感があり、とりあえずは抜け目なく介護やりました!みたいな感じを受けた。

そこには、私には両親への心配りが全く感じ取れなかった。

 

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