人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第96話 え!!!父が脳梗塞!?

2023年9月3日(日)16時半ごろ

お天気のいい日で家で両親とのんびりしていた。

台所で用事したり、ソファでスマホみたり、父と話したりしていたのだが、父が奥で少し寝ると言ったので、お昼寝タイムにした。

母が父の横でぼーっと座っていた。

私も父の側でスマホを見ていた。

父がふと何かを喋ったのだが、???明らかにしゃべり方がおかしかった。

っていうか、何を喋っているのか全く理解できなかった。

寝ていたのでとりあえず動かさないようにした。

話しかけたら答えてくれたが、何を言おうとしているのかわからない。

咄嗟に救急車を呼ぼうと思った。

が、まず娘を呼んだ。

子ども達と実家のすぐ横の公園にいたので飛んで来てくれた。

「おじいちゃん!!どうしたの?」

と言うとふわふわっとしたしゃべり方だった。

「左手上げてみて!!」

「右手上げてみて!!」

「起きれる?」

左は上がるが右は上がらなかった。

足も右足が上がらず同じだった。

全く起き上がれれなかった。

娘が即、119番に電話した。

「緊急です!恐らく脳梗塞です!秒を争うのですぐに来て下さい!」

的確な電話だった。

救急車もその言葉に反応してすぐに来てくれた。

救急隊員が、恐らく脳梗塞ですね。搬送できる病院を調べて

「すぐに搬送します!」

と救急搬送された。

<当日のメモより>

 父の脳梗塞入院について
 9月3日(日)
 13:00 昼食後父と一緒に昼寝
 16:30 ・目覚めた父の様子がおかしい
    ・ろれつがまわっていない 
    ・息が荒い気がする 大丈夫かと聞くと少し待ってくれと答える
    ・生あくびを何回もする。体温37.3度
    ・起き上がれない様子。いつもの冗談を言うので一時的なものか?
     判断がつかない。
    ・母・私を聞くと人の認識と判断はつく
    ・救急車を呼ぶ前に娘を呼ぶ
    ・娘に連絡し娘が来る。状況を娘に報告する。
    ・右手、左手、右足、左足を上げておき上げれるのかを
     娘と確認したところ、右足、右手が上がらないことに気づく
    ・絶対に動かさず、そのまま119番する。
 17:05  救急車到着
     右手右足の麻痺を確認。
     国立循環器病センターへ搬送
     娘の予想通り、先生から脳梗塞との告知がある。
     5人の医師が待機していること、最悪ステント手術となること、
     麻痺は残ること、入院、リハビリが必要となることなどの説明を
     受ける。 
     脳のスキャンを撮った際に、脳の真ん中の血管が詰まっており、
     脳梗塞が起きたこと、脳のダメージがあまりないので、早期発見
     が幸いしていること、手術の必要はなく血液をさらさらにする薬
     の投与でいけそうだという説明その他を受ける。
     入院は2週間が目処。その後リハビリのための転院となる予定。
 
 22:30 帰宅
     (母も一緒に娘の車で循環器病センターへ行ったので、17:30~22:30
     は、鍵を持っていないので実家は開けたままで行く
 
 9月4日(月)私と娘2人とも仕事を休む。
 
 7:44 リハビリOTさんへ電話で連絡する。
 9:00 地域包括へ直接報告に行く。
 9:40 ケアマネージャーさんへ直接報告に行く。
 
 11:19 循環器病センターN医師(女性)より連絡あり
    父の症状が回復している。右手、右足も動く。事前の説明では、
    リハビリ転院が必要だと報告したが即退院も可能性としてはある
    とのこと。
 14:00 面会
  ~  父の様子 右手・右足が動く、早く帰りたいと懇願
 14:15 早く家に帰りたい。勝手に入院させられたと発言したので、 
     昨日、脳梗塞で救急車に運ばれたこと、今日は退院が不可能だが
     すごいレベルで回復して、両手両足が動くので、退院は2週間も
     かからないことを報告。
     少し息が荒い。疲れているのかうつらうつらする。
 14:55  ケアマネージャーさんへ電話報告
 17:10 脳神経内科 Y医師より電話あり
    父が帰宅したいことを切望している。医師としては検査等を終えれば
    明日にでも退院は可能であること。
    父と医師の話し合いの結果、父の意思を尊重して電話しました。
    キーパーソンについては長女さんを指名されている。今からリハビリ
    の先生と歩けるのかどうかを歩行テストをして、歩けるのなら退院を
    許可すると父に伝えたとのこと。
 17:46 再度Y医師より電話あり
    父の意思では歩けるので帰らせてほしい
    (平行棒で介助すれば右足を引きずるが平行棒を手すりにして介助
     すれば少しは歩けてはいる。)
    医師として、退院は不可能ではないと考えている。脳梗塞でここに
    運ばれてきた患者さんの中には少なからず退院はあるケースである。
    逆に、病院にい続けることにより、環境の変わった風景の変わらない
    場所にいることで確実に認知機能の低下は進んでいくことは確か。
    元気になって徘徊したり、機器を外したり、帰りたいので看護師
    の手を振り払ったりすることにより、心を沈める薬の投与、拘束
    することも出てくる。自ら自分を傷つけることにもなりかねない
    入院していても、退院しても再発のリスクは同じである。

私1人では救急車を呼ぶ判断がつかなくて躊躇していたので、娘を呼んで正解だった。

全員車に乗り込み、救急車の後を追った。

私が父のすぐそばにいたので早期発見だった。そして、娘の対応が素早かったので、救急車との連携、循環器専門の病院が受けてくれたのが幸いして、父は見事に回復し、実際に面会に行くと右手も右足も気になる様子もなく動いていた。

しかも、しっかり話せていたので本当に不幸中の幸いだった。

娘には感謝しかない。

ただ、その時によぎった事があった。

主治医のS先生が、糖尿病は、血糖値が高い状態が続くと、心筋梗塞脳卒中脳梗塞、など、命に関わる合併症を引き起こす危険性があるから必ず薬を飲むように言われたのに、名奈が、

「姉が砂糖の付いた甘いパンを食べさすから!」

と言い放って、もらってきた薬を捨ててしまった。

それが原因なのかは不明だが、その可能姓についてあるかも?と頭の中でよぎった。

 

父は担当の先生に、こう言っていた。

「私にはもう残された時間はそう沢山ない。家に帰らせてほしい。」

と。

父は一刻も早く家に帰りたかったようだった。

担当の先生と相談し、先生の都合にも合わせて、最短で9月6日(水)に一応決まった。

だが、私1人の一存では決められないので妹と相談して返事することにした。

よりによって、この日は調停日だった。

妹の承諾がもらえれば、調停は14時から始まり、調停が終わり次第病院に行き、退院の運びとなる。

少し気になったのが、退院の前日に担当の先生から私に直接電話が入った。

 

キーパーソンはお父さんの希望もあり、長女さんでお願いしたい。

くれぐれも妹さん達は来ないで下さい。と念を押された。

その意味は一体何だったのだろうか。。

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