人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第6話 両親の認知度

赤ちゃんは成長するにつれ、日に日に出来ることが増えていく。昨日ハイハイしていたのに、今日は立っていた。一昨日立てたら、もうつかまり立ちが出来た。片言でしゃべった、しばらくしたら急にしっかり話せるようになった、などみるみるうちに成長する。

実は、経験しないとわからないあたり前のことなのだが、老人が身体、脳が退化していくのも赤ちゃんと同じだと思う。
同じような成長の過程を今度は逆の道をたどる。

小さな小さな変化だから、一目では気づかないが、徐々に、徐々に老化していく。

昨日できていたことが、気づかぬうちに今日は出来なくなっている。

赤ちゃんは周りの人に囲まれ、沢山言葉、会話を聞き、色々なものを見て理解を深め、どんどんいろんなものを吸収して、成長していく。

老人も同じなのだ。

老化の速度は人と関わる事で、阻止され老化の速度は緩やかになる。

反して、人と係わらなければ、人は楽な方に流れていく。

外に出なくなり、
何に関しても興味がなくなり、
会話しなくなり、
動かなくなり、
動かないから、体力は日に日に衰える。

体力が衰えると、気力も衰える。
動かないから、どんどんやらないことが増えてくる。
やがて、今まで日課として精力的にやってきたこともやらなくなる。
一日中TVを眺めることしかやることがなくなる。

しかも、それに追い打ちをかけるように、両親の認知度が下がる一方の時期に隣の国からコロナの驚異ががやってきた。

高齢者は、コロナが恐くて家に閉じこもる。全く外に出なくなってしまった。

父は毎日日記をつけていた。

父は毎日買物に行っていた。

父は毎日家計簿をつけていた。

父はお気に入りのパソコンでブログを書いたり、
パソコンで調べ物をして、興味のある内容を文章にまとめていた。
my favoriteな曲を集めてベストCDを作り、盤面に印刷して聞いたり友達に配ったり、忙しく色々なことに挑戦していた。

PCの「かな」のメニューが出なくなった、Wordの改行が直らないなど、不具合のたびにしょっちゅう私は、実家に呼び出されていた。

でも、本当は特に用事がなくても、会いたくて呼んだのかな?と思うことが多かった。
父から呼び出されて行くと、
「パソコンはあとでいいから、一緒にご飯食べよう!」
なんてことがほとんどだった。

運動も何十年もフィットネスジムに通い、水泳やエアロビやマシーンに挑戦していた。

 

なのに・・・。

 

いつの頃なのか不明なのだが、全てを一切をやらなくなった。

私たち家族があの時期、(早奈サイバー攻撃事件から両親がコロナにかかるまでのたった半年間)無理にでも実家に行っていたら、もっと老化の速度を阻止できたと、ハッキリ断言できる。

大阪ガス事件からは、ずっと実家に行くようにしていたが、直近の記憶も、遠い記憶もしっかり覚えていて、ハッキリしていたし、会話のキャッチボールもはずんでいたし、食事も沢山しっかり食べられていた。

父は晩酌にビールや焼酎、ウイスキーも飲んでいて、けっこうお酒好きだった。

毎晩夕食時には、ロング缶1~2本飲んでいたので、よく買っていってあげていた。

両親とも車の運転(その当時で、父85歳、母82歳免許を返すべきだと本気で両親に勧めていた)していたし、父にいたっては、スズキ(SUZUKI) アドレスV125ccにいつもサンダルで乗り回していた。

だが、

大阪ガス事件から、頻繁に実家に行くようになったが、父はいつ行ってもソファか奥の座敷で、TVはついているが見ている訳でもなく、何をするわけでもなく横になっていたことが多く気になっていた。

母は、よく食卓の椅子に座って新聞を広げているが全く見ている様子もなく居眠りしていることが多くなっていたし、食事を作ることをやめてしまっていた。

「お父さん寝てばっかりいたら、ボケるよ。起きて何かすることないの?」

なんて、冗談まじりに言っていたが、実はそのころから両親の様子は、気づかなかっただけで、徐々におかしくなっていたのだと思う。

 

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