2022年2月21日(月)母が一般病棟に移ることになった。
入院してから、ちょうど13日後である。
一般病棟に移ってから母は、暫くは車椅子だった。
リハビリを開始してからは徐々に自力で歩けるようになる。
食事も3食完食出来るくらい回復する。
オムツもほぼ取れたが、時々失敗もあったようだ。
院内を散歩出来るくらい回復していた。
私は、全くの無知で「嚥下」という言葉を知らなかったのだが、この食事を食べられるという日常の簡単なことでも高齢者にとっては、命の危険にも繋がる一大事となる。
食べ物や飲み物を「ごっくん」と飲み込み、食道から胃へと送り込む一連の動作を嚥下(えんげ)と言う。
病院では、入院患者の回復時に嚥下機能がどうかを、食事内容を徐々に液体から固形に移す段階を踏み、丁寧に観察して様子をみる。
普段、若者は何も考えなくても、まばたきをするくらいのわずかな時間に嚥下する。
しかし、加齢や病気により「ごっくん」がうまくできない状態になることがある。
誤って隣の気管に入れば「誤嚥(ごえん)」となり、喉が詰まって大変なことになる。
嚥下がうまく出来なくなると、食も細くなって体重が減る。
高齢者は、嚥下が原因で食べられなくなり要介護状態の前段階である「フレイル(虚弱)」になり、負のスパイラルに陥ってしまう。
口から食べることって本当に大事なのだ。
日常何も考えずに当たり前のように「食べる」という動作は、実は人間にとってとても重要なことなんだと改めて実感した。
この入院で、寝たきりになった高齢者の体力、能力、気力が衰える速度は、かなり急速であることを恐ろしく実感した。
私が知る父の姿はちょうど、その前の年の11月なので、4ヶ月前である。
父との会話はしっかりとキャッチボール出来ており、会話が成り立っていた。
父は実際に車を運転していた。
そのちょっと前までは、サンダルはいてバイクに乗っていた。
一緒に散歩に行ったり、
週末一緒に旅行に行ったりする時には、杖をついていたがしっかり歩いていた。
トイレもお風呂もすべて自分で行けたし、日常生活で困難なことは皆無だった。
いくらコロナだったとしても、頬がこけ痩せ細り、歩けないどころか、ベットから起き上がれない、言葉も忘れてしまうほど弱ってしまうとは・・・。
確かに、誰のせいでもないだろう。
コロナが原因だとわかってはいたものの、
早奈の暴言で、私が実家に行かなかったことが、間違いなく父をここまで弱らせた原因の1つだと思った。
「たった4ヶ月で父がこんなに弱ってしまった・・・!」
と悔しくて、悲しくて、何度も泣いた。
早奈が私達家族に、
「実家に来るな!」
と言ったその攻撃で、
私達が両親に寄り添わなかった4ヶ月、
早奈は充分に両親に寄り添っていただろうか?
子どもとしての義務だから、ヘルパーとして事務的にただ、実家に食事を届けていた。
ただそれだけだった。
確かに、昼間仕事をして、急いで帰って、自宅家の分と両親分の食事を作り、タッパーにつめて、汗をかきかき毎日食事を届けることは、そうとう大変なことだったと察する。
でも、私に言わせれば、高齢の両親に食事だけ届けることが果たして本当に必要だったのか?
早奈は自宅で食事するので、運んできただけ。
しかも大学生、高校生の子どもたちは、学校、バイト、遊びで家に帰ってくるのは深夜で、自宅で食事もしないことが多いし、旦那も帰りが遅い。
それなら、一緒に両親とご飯を食べてくれたらいいのにな。と考えたこともある。
両親は、早奈の持ってさっさと帰ってしまったおかずの入ったタッパーをチン!して、ボソボソと会話もなく静かに食べるだけ。
この頃、弟がよくお姉ちゃんはよくやってくれて、ありがとうね。と言ってくれていた。
両親とは火曜、水曜、木曜と一緒に食事していただけでなく、週末はなるべく連れだして一緒に散歩や買物に出かけたりもしていた。
父が話し好きなのはよく承知しているので、最近読んだ本や、社会情勢や、悩みや、孫の面白話など、話題を沢山見つけて、提供した。
自らがムードメーカーになって、話題を掘り下げて熱弁することもよくあった。
要は、なるべく会話をすること、外に出て、少しでも毎日歩くことを大事だと考えていたから。
父にもよく話していた。
「外に出るでしょ?
靴を履くでしょ?
階段降りて、
歩くとつまずかないように周りを見る。
花が咲いている、
季節を感じる。
寒い、
風を感じる。
鳥が鳴いている、
音を聞く。
色々な変化に気づく、
遠くを見る、
近くを見る、
車が来た、
危険を感じる。
単純なんだけど、
ちょっと外に出るだけで色々なことを
知らず知らずに人は感じて行動している。
歩くことは、大事なんだよ。
お父さん。」
早奈は一切、
そんなことは一切しない。
根本的に考え方が全く違うから、無理な話だった。
早奈に私のやっていたことを同じようにしろと、望んだり指示するつもりもなかった。
それぞれの家庭のやり方、個人の考え方があるだろうから。
だから、意見を押しつけたり、強制もしなかった。
ただ、5歳も年下の妹が、姉の私のやっていることまで完全否定し、
「お前は実家に一切来るな!親のお金を勝手に使うな!」
という大きな勘違いは、どう考えてもおかしい。
いや、おかしいと思うのは、私だけなんだろうか。
妹たちに接していると、相手は完全肯定してくるので、いつもふと、あれ?私がまちがっているのかしら?と自分の考えを振り返ることがよくある。
いつ実家に行っても昼間何もせずにずっとゴロゴロと寝ていた父、
食卓の椅子に座って何するわけでもなく居眠りばかりしていた母の姿を思い出した。
とはいえ・・・。
嬉しい知らせがやってきた。
父も回復の兆しが見えてきた。
父も母もコロナに関しては、数値としてウィルスが消えたので、主治医から一般病棟に移れるという指示が出たのだ。
本当に良かった!
だが、そこから問題が起きた。
恐らく父は、何故自分が病院にいるのかが全くわかっていなかった。
勝手に家族に病院に入れられた!と思っているらしい。
看護師さんに大きな声を出したり、手を振り払ったり、点滴をはずしたり、食事を食べなかったり、病院の中で問題児になっていた。
一般病棟では、体力の回復のため、徐々にリハビリが開始された。
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↓ 最初の段階から、私の「キーパーソン」は名ばかりだった。
名奈が全てを仕切る。
それは・・・。
今後の悲劇を物語っているようだった。
コロナ禍以前から存在した親戚一同のグループLINE。
主は、偽キーパーソン名奈から全員への報告。(白背景)
回答した(黄緑色の背景)は私。