人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第9話 コロナ入院

伏線を書こうと思ったらどんどん話がそれてしまった。

コロナで両親が入院してしまった時点に戻る。

2022年2月8日。

コロナ禍真っ只中、何もかもがコロナで凍り付き一歩も前に進まない暗黒の時期。

 

マスクが手に入らず、価格がどんどん高騰、まん延防止等重点措置が適用され会社では、宴会、飲み会、団体で行動するもの全てが自粛、緩く禁止令が出た。


複数人での会議もなくなり、Google MeetやZoomを使ってWeb会議システムに切り替わった。社内社外でのマスクは絶対必須、デスクパネルで机を仕切り、食堂は默食。

 

窓を開けて換気、サーキュレーターがせわしなく回り、通勤は早出、通常、遅出の時差出勤が慣行され、社員はできる限り在宅ワークに切り替えるようになってきた。

 

飲食店は集客できず閑古鳥が鳴き、カラオケ店、ホテルなどもお客さんが来なくなり倒産が相次いだ。

 

日に日にコロナ患者が増え続ける。

日に日にコロナ要因での死者が増え続ける。

この先どうなるのか、世界中の人が一向にコロナの前が見えなくなっていた。

ただ、コロナはアルファ→ベータ→ガンマ→デルタ→オミクロンと変異しており、変異とともに威力が分散されてきていた。

恐らく、両親がかかったのはデルタの末期なのでオミクロン株ではないかと思われる。


ただ、高齢ということもありこの時期にコロナにかかることは驚異でしかなかった。

当然、両親が入院時に至ってもコロナ禍での面会は出来ない、隔離病棟に入院、今どうなっているのか全くわからない状況だった。

差し入れも1日1回1人10分までと時間も決められていた。

会うことも出来ないので、おむつなどを届ける程度でしか病院に行けなかった。

名奈が言うには、おむつはきちんとと記録を付けてないので、使った枚数があやふやで高額になる場合が多い。病院に任せるより持参した方が良いということ。

それに従い薬局で買って病院に届けることにした。

 

とにかく生きる気力をもってほしい!

家族みんながそう願っているから、頑張ってコロナと闘ってほしい!

 

色々考えて工夫を凝らした。

看護師さんに頼んで、家族や孫たちも誘って絵や手紙を書いたり、病院に私のipadを届けて繋げてもらい、もう一台のipadiphoneをライブでつないで、話をしたり(時間が決められていたが、許可はもらえた)あらゆる工夫をして、入院中の両親を励ます努力をした。

最終的には、家族写真、みんなの手書きの手紙、文章、ひ孫のお絵かきなどをまとめ、文集を作り、両親に渡してもらった。

看護師さんが、文集見せて貰ったけどすごい!素敵ですね~よく出来ていますねと褒められた。母が何度も見てくれていたし、看護師さんたちにも、暗い話題の中で微笑ましく好評だったらしい。

 

入院当初は、両親とも酸素濃度が高く、特に父は肺に影が出来て状態が思わしくなかった。
危険な状態で点滴でリムシビルを投与したという報告が何日か続いた。

肺の影がまだ治らない、息が荒い、酸素濃度も高い、父は完全に寝たきり状態であることなど、1日1回、または変化があった都度、主治医の先生より連絡が入った。

なので病院からの電話が入る度にヒヤヒヤしながら電話をとった。

 

病院では、必ずキーパーソンを決められる。

 

兄弟や親戚が多いとあちこちから別々に聞かれたら病院が対応出来ないからだ。
しかも、コロナ入院に関しては、主治医からの電話を待つのみで基本、こちらからは電話出来なかった。

私は正社員だが、接客業ではない。

(妹2人は接客業なので電話にはすぐ出られない)

立候補したわけではないが、長女であること、常時、病院からの電話には対応出ることを考慮し、妹たちの意見もふまえて「キーパーソン」は私となった。

この時からすでに、何だかなぁと思うことが多くなった。

名奈はリハビリ病院の受付でパートをしているので詳しい。

こう!と決めたらなかなか曲げない、せっかちな性格。

人の話をあまり聞かずに突っ走る面もある。

全て仕切りたい気もちが前に出る名奈。

キーパーソンを決めたのに、何故だか、主治医に直接電話することがあり、逆に主治医や看護師さんから妹さんからこういった連絡があったけど聞いてますか?など問い合わせがあったりした。

名奈とは仲が良かったし、そういった行動、言動も両親の回復を強く願っているからこそだと思い、特に気にしないようにしていた。

ただ、私は社会人になってから38年間同じ会社に勤めている。

常識も良識もある程度わきまえていると自負している。

兄弟4人いれば、色々と意見が食い違うところもあるだろう。

だけど、決して自分だけの意見で突っ走ることなく全員に相談して決めるというスタンスでいた。

そもそもがキーパーソンとして任されたので、小さなことでも最善を尽くし、考え、責任を持って行動してきた。

もしも足りない部分があったとしても、名奈が私を通り越して、直接聞くのでなく相談もしてほしいし、私を通してくれたらいのになぁと思った。

ん~。

名奈が直接病院に電話するのなら、キーパーソンを何で私に決めたのだろう、意味ないじゃん!とモヤモヤするところあった。

 

逆に、早奈に関しては、サイバー攻撃事件、噴水事件、その他を含め、

「えっ?あなたのその発言、あなたのその行動、人としてどうなの!?」

 

とその真意を問いたくなる事件が多々あったし、今回の両親のコロナ入院に関しても早奈の暴言で、私は実家にずっと行かなかったのだが、「虫の知らせ」がなかったら、その事実すら私には隠していただろう。

実際に父が昼間入院したことも、重大なことなのに一切連絡がなかった。

しかも、母もコロナの症状が出ていたのに何故なのか一人置いて、自宅に戻ったのだから。

実は実家に行かない宣言をした翌日からずっと、父と母が、

「そんな頑なに来ないなんて言わないで、今まで通り来てちょうだい」
と何度も何度も家に来てくれた。

娘の家にも、父や母が何度も来てくれたらしい。

娘が、

「晩ご飯はどうしてるの?」

と聞くと、毎日、早奈がお弁当容器に入れたおかずを持ってきて机の上にポン!と置いて帰るらしい。
両親は、早奈と顔を合わすのが嫌なのか、わざわざ早奈が夕食を持って来る時間に合わせて外出し、娘の家や私の家に来てくれていた。

 

今さら遅いが、早奈が何と言おうと両親に頻繁に会いに行くべきだった。

 

私は、早奈の考えとは全く違っていた。
両親に食事を提供するだけなら、お弁当の宅配もあるし、両親が買ってなんとかする方法もあっただろう。

 

毎回の食事の提供、用意の大変さ、食費のこと、そんなのはどうでも良かった。

 

ただ、両親と食卓を囲み、ゆっくりと食事、会話を楽しみ、それぞれの今日あったこと、最近あったこと、TVの話題、興味があること、世の中の動き、楽しかったこと、そして、父の昔話、思い出、今考えていること、父の時々出てくる駄洒落に大笑いし、そういった一緒に過ごす時間がホントに大事だと思っていた。

両親にも、私にも。

 

早奈が自分達のやっていることをヘルパーと書いたり、食事だけを運んでそれでいいと思っているのも、私には、

「心のこもっていない親切の押し売り」

だと感じた。

お金を払えば、いくらでも業者さんがやってくれるサービスだからだ。

 

何故、そこまで「姉」、いや姉だけでなく、「人」を常に妬み憎むのか?

そういった考えを心の奥底に持ち、常にそういう心理状態なのかも私には計り知れなかった。

ただ、早奈が私に対して強い憎しみ、妬み、そして敵対心を持っていたのは数々の言動から察していた。

本当のところはそうはいっても自分の妹なので、「?」というゆゆしき部分は見ないようにして、決して妹を自分から嫌ったりのけ者にしたりはしてはいなかった。

 

もしも他人なら、絶対に近寄らない、避けて通る人種だとは、確実に言えるが。

 

ただ、この時に思ったのだが、両親の状態がこれから良くなったとしたらそこからは、「兄弟の絆」と「兄弟の力」が神様に試される時だ。

兄弟、力を合わせて頑張るしかない!という強い思いがあった。

何を信じている訳でもなく無宗教の私だが、もしも神様がいるのなら、

 

「神様。両親を助けて下さい。絶対に回復しますように・・・。」

と毎日お祈りした。

母の容体は、日に日に良い状態になってきたという主治医の報告とは裏腹に、父の容体が悪く回復の兆しが見られず心配で寝られない日が続いた。

 

 

 

 

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