人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第23話 山より大きな獅子は出ないのか?

毎年、1月2日は親戚一同が実家に集まる。

2022年のお正月は、姉家族は実家に来るな!と早奈が発狂したので、本当に一度も実家に寄り付かなかった。

今からよく考えたら、早奈の攻撃から避けるためだったとしても、そんなこと無視して実家に行くべきだったと思う。

 

父も母もとても元気だったし、父は車だけでなく125ccのアドレスという若者が乗る中型バイクにも乗っていた。

でも、父は86歳、母は83歳、平均寿命を軽くこえていたのだから、両親と過ごせる時間は少なくなってきていたのは確かだった。

 

両親の携帯代は娘が保育園の頃からずっと、私が2人分払っていた。

きっかけは、私が仕事していて母と連絡を取るためで、保育園のお迎えのお礼に私が払う事にした。

その後ついでに父の分も払う事にした。

小さな事だが若い頃の両親を困らせた恩返しの意味もあった。

約20年余り、両親の携帯代を支払っていたが、その間、特に両親に請求したこともない。

ガラケーからスマホに変えたいという父の要望があり(今から4年前くらい)から、スマホデビューをきっかけに両親が自分で支払うことになった。

そのスマホも使わないから解約しろ!との指令が早奈から出た。確かに家にずっといるので使わないだろうと思ったので、私が2名分を解約した。

幸い、名義は家族割の関係で私のままだった。

 

車も解約した。

(車の解約の経緯は後ほど記載する。)

 

早奈は、父と母のクレジットカードは全て、本人に電話をさせて、解約させた。

 

2022年の年始には、父は10万円をおろして、これでお正月の準備に使ってくれたらいいと、妹たち託したらしい。

今から思うと、その時に父のキャッシュカードや通帳、印鑑を早奈に渡したのかもしれない。

10万を降ろしたのも早奈だったのかも。

知らんけど。

 

その後、その10万円をお仏壇に置いていたのが紛失してしまい、何故か私が盗んだことになっていた。

「そんなの見たこともないし!そもそも実家に行ってないし!知らんわ!」

 (とは言っていない。心の中の声)

その辺りから両親のお金の管理の行方はおかしくなってきた。

 

母の年金が入る郵便局の通帳、キャッシュカード、印鑑は、早奈が母を連れて郵便局に行き、キャッシュカードの暗証番号失念で再発行で新しいものに変わってから、早奈が持っていた。

 

母は古い方の通帳、印鑑、キャッシュカードを大事に持っていたらしい。

が、新しい方の通帳とキャッシュカードも私が盗んでいると何故か言われた。

 

コロナ退院してからは、両親は妹たちの言いなりになっていたのかな?と思う。

ただ母は、私が何か言うと反論してきたり、本音を言っていたので、私に対しては違ったのかな?

とは思う。

 

父の通帳、印鑑、キャッシュカードもいつの間にか早奈が持って管理していた。

姉の私には相談もなかったが弟には事後報告だったのか?

そこのところは、よくわからない。

 

だれが見ても、言い方は悪いが両親のお金を全て取り上げてしまったのは誰なのか明らかだった。

なのに、一緒にお出かけした時に母が小銭しか入っていない小銭入れを開けると、

「母のお金を盗むな!」

と書いてあった。

ギョッとした。

 

父の財布には、

「父のお金は兄弟が管理しています。」

と書いた紙が入っていたのを母が見つけてくしゃくしゃにして捨てた。

母が見てないうちに拾って写真を撮った。

 

ちなみに、私は人の財布を触ったり、両親の財布を勝手に開けるような行為は、絶対に出来ない。

そういう人間として、両親に育てられたからだ。

 

だから、早奈が(メモの字は間違いなく早奈の字)平気で、父や母の財布を開けてメモを入れたり、クレジットカードを解約させたりすること自体信じられない。

ぶったまげるような事態だ。

 

しかも、グループLINEには、あれだけドクターKも、主治医も言ってるのに、両親は認知症ではありません!年齢なりです!と言い切る。

 

私自身は、両親が年金をいくらもらい、いくら貯金があり、どういう財産があるかということも、全く興味がなければ、知らなかった。

自分が稼いだお金でないのに、あわよくばそのお金を貰おうなんて、思ったことも一度たりともなかった。

両親が元気で長生きしてくればそれが一番。

両親のお金は両親が好きに使えばいいと思う。

 

だが私は、

兄弟の中で、

一番ムゴイやり方で、

「両親のお金を狙う凶悪犯人」

にされていく。

 

~ 山より大きな獅子は出ない ~


「山より大きな獅子は出ぬ」

(やまよりおおきな、いのししはでぬ)

という諺がある。


元は仏教から由来しており、色々な解釈もあるようだが主に、

「どんなに大きな猪でも、その猪が住んでいる山よりも大きいわけがない。」


入れ物よりも大きな中身などありえないのだから、決して恐れることはないという意味である。


果たしてそうだろうか?


現実的には、

自分のキャパを超えて、

大きな問題が次々と目の前に立ちふさがる。

どうあがいても前に進まない。

あらゆる方法で立ち向かっても、

抜け出せない。

狂気が押し寄せてくる。


全く解決は見つからない。


誰も助けてくれる人がいない。

結果にたどり着かない。


私は、山より大きい獅子が確実にいると思う。

両親のコロナ退院から、


私の目の前に出現した獅子は明らかに山より大きかった。

 

↓ 父の財布

f:id:xmomorin:20240105005638j:image

f:id:xmomorin:20240105005644j:image

 

↓ 何枚もあちこちに書かれたメモ

何故、自分達の親の介護をヘルパーと書くのか?

おそらくその取り組む姿勢と気持ちがヘルパーなんだろう。

 

f:id:xmomorin:20240105005652j:image

↓ 母の小銭入れから出てきたメモ

母がビリビリに破って捨てたのを拾って写真を撮った。

f:id:xmomorin:20240105005724j:image

xmomorin.hatenablog.com