娘が高校生のころだっただろうか。突然の胃痛かなにかで娘を連れて夜中に救急病院に行ったことがあった。
病院に行った原因が何だったかは全く忘れてしまったが、強烈に覚えていることがある。
診察も終わり、待合室で娘と雑談していたら、目の前にいる初老のおじちゃんが親しそうに話しかけてきた。
「おっちゃんな、膝をケガしてもーてな。折れてて大変やってんや!」とポン!っと包帯がグルグル巻かれた折れた膝を叩き、そこから病院に来るまでの長~いおっちゃんの話が始まった。
何故なのか、途中から話が振り出しに戻った。
「おっちゃんな、不意に車が角から出てきてなドン!ってぶつかってん、膝をケガしてもーてな。折れとったんや。そりゃ~大変やってんや!」とポン!っと膝を叩き、またそこから病院に来るまでの長~いおっちゃんの話が始まった。
何周しただろうか?
娘と私は、最初は「うんうん!」と聞いていたが、話が何周かするとそろそろおっちゃんの膝ポン!が出てくるタイミングを熟知していた。
何なんだろうか?
このおっちゃんの思考回路は?
高校生の頃、大好きなさだまさしのレコードに入っていた1曲だけが壊れた時みたいだ。
「元気でいるか?
街には慣れたかぁ?
友達ぃ~出来たか?
寂しかないか?
お金はあるか?
こんどいつ帰るぅ~?」
そして、サビの一番いいあたりで、
「お前の帰りをぉ~、待ちぃわびる、待ちぃわびる、待ちぃわびる、待ちぃわびる・・・」
いい感じでずっと待ちわびるらしい。
前に進まない。
エンドレスで「待ちぃわびる」が続く・・・。
大好きなアルバムの案山子の曲だけが、途中で壊れてしまっていた。
おっちゃんの話はその部分にそっくりだったので、思い出した。
と言いつつ、タイミング良くエンドレスに続くおっちゃんの話をさえぎることが出来、車に戻れた。
帰りの車の中で、おっちゃんのマネをして娘とお腹をかかえてゲラゲラ笑った。
「ぎゃはははっ!エンドレスじいさんがぁ!出たぁ~!話がずっと終わらんやん!何?あれは?何なん?笑える~!!!お酒に酔ってたのかな?そんな風でもなかったけど。冗談?漫才できそうやんか。昔持ってたお母さんの大好きだったレコードみたい!レコードが壊れてしまって、同じ歌詞ばっかり繰り返すねん!」
と漫才みたいなおっちゃんのエンドレスな話は愉快でしかなかった。
でも、今ならわかる。
笑えない話だったんだ。
今から思うと、あの愉快なおっちゃんは「認知症」だったのだと思う。
実は、大阪ガス事件の少し前くらいから、父もエンドレスじいさんみたいになっていることが時々あった。
父が会社勤め時代に海外旅行に行った話を聞いていると、どういうメンバーで行った、いつ行った、どこをまわったなど、こと細かくハッキリと記憶していて、冗談や色々なエピソードを交えておもしろおかしく話してくれた。
のだが、
「そのメンバーは一体何のメンバーなの?友達?」
と聞くと、そこから、何のメンバーでから始まり海外旅行の話が1から始まりだす。あれ?っとなるが、初めて私達に話すかのように同じ内容を繰り返し話し出した。
弟が
「おやじは同じ話ばかりする!ボケてきてるねん!もう、先が長くないわ。」
と心ない言葉を言ってた事があったのもその頃だったと思う。
悲しくなったが、確かに同じ話を繰り返すことがちょくちょくあった。
だが、他の記憶がしっかりしているし気にするほどでもなかった。
そういった小さな変化は、今思い出すと色々あった。
車の前のドアから後ろドアまでずっと傷がついていたり、ボコンとバンパーがへこんだり車がよく傷つくようになった。ディーラーで何十万もの高い金額を払って車を修理を出すことが頻繁に起こっていた。
で、傷つけたのは父は自分じゃない!母も自分ではないと言う。でも、二人のうちどちらかしか、実家の車は運転しない。
しかも父はかなりスピードを出すが、母の運転は亀より遅くて歩いてる人が抜かしていくほどのろい。車の免許は返納すべきだと何度か言ったが、足がなくなる、出かける時に困るという理由もわかるが・・・。
母は、
「車を運転することでリハビリになるのよ」
なんて言っていたが、
高齢者のリハビリで、ひかれて命を落とす人が出たらたまったもんじゃない!
春になると、両親は苺を何箱も買って持ってきてくれた。早奈、名奈の家を周り、私の家まで高価な箱に入った苺を何パックも届けてくれた。昨日苺がきたのにまた今日も来た。さらに実家に行くと食べきれないほど苺パックが冷蔵庫に入っていてビックリすることがあった。
父は自慢げに、うちは果物が好きだから毎日買いに行っている。沢山買ってあげるから、果物屋さんもうちは上お得意さんや。苺も奥から質のいいのを出してくれるんやで。娘たちに配るために沢山買ってあげているんや。
と言っていた。
ただ、うちの娘に言わせると果物屋さんは、わざわざ高い価格の苺を沢山じいちゃんに売りつけていると怒っていた。
私は苺を娘たち孫やひ孫に食べさせてあげたいという父の優しい気持ちがありがたく、とても嬉しかった。
年末、庭掃除の集金分を払いに父は家からすぐ近くの店舗に行った。
お店は車で5分もかからない場所にあるが、いくら車を走らせてもお店が見つからず、そのままずっと外環状を回り、とんでもない場所まで行っていしまい、帰り道がわからなくなったらしく、何時間もかけてやっとこさ家に戻ってきたことがあった。
お正月、弟がビールをコンビニで買ってきてほしいと頼んだ。(コンビニくらい自分で行けばいいのだが、もう飲んで出来上がってしまっているので、両親にパシリをさせたらしい。)
両親は車で買いに行った。
だが、4時間経っても、5時間経っても戻らない。
ずっとずっと遠くまで車を走らせて行き、帰り道がわからなくなったようだ。コンビニは歩いても行けるような場所にあったのに、何を買いに行ったのかも忘れてしまい何も買わずに戻って来た。
2021年の年賀状は、父が作って、母が年賀状を確かにポスト投函したと言っていたが、年賀状は1通もどこの家にも届かなかった。
毎年、もらえる翌年のカレンダーがないので、父は確かにトイレに掛けたのを母が捨てたと怒っていた。
毎年、会社の後輩の誰か(この記憶も怪しい)がポストにいれておいてくれるらしい。
結局、カレンダーの出所も行方も不明だったし、新しいカレンダーは元々届いていなかった。
父との会話でもこんなことがあった。
「最近、お父さんバイク乗ってないね。もう3ヶ月くらい乗ってないんじゃないの?バッテリーがあがちゃうよ。」
と言うと、
「何言ってるんや。昨日も買物に行ったし先週も図書館に行ったりして乗ってるよ。」
と答える。
「え!?いつの話?バイク駐車場でホコリかぶってるよ。乗ってないやん!」
と何度も私が言うと、
「馬鹿にすんな!本人が乗ってるから乗ってるって言ってるのに!」
と怒りだした。
その時、その話題以外の父の話はしっかりしていたし、記憶も会話もいつも確かだし、父が認知症だなんて全く思いもよらなかった。
「認知症」という言葉自体、認識も知識も興味もなかった。自分の身内以外に起こる特殊な人がなる病気で、人ごとみたいに恐いねぇ~としか思っていなかった。
ただ、バイクの話は父が少し私に怒ったので、
「お父さん変なの~、思い違いにしても酷いよなぁ。」
と逆にムキになって何度も否定しすぎた私のバツが悪くなった。
小さな日常の出来事ではあるが、今から思えばなんだかおかしいエピソードが数え切れなほど、あった。
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