人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第16話 父は退院出来るのか。

コロナで入院を余儀なくされた両親。

幸い母は退院出来た。


母に関しては、もともとが身の軽い人だったので、退院後の心配はなかった。

性格的にもよく喋り、よく食べ、よく寝て、環境に対しての順応性があったので、病院内でも看護師さんに話しかけたり、入院生活もそんなに苦痛でなかったようだ。

退院して自宅に戻ると、日に日に自分のペースを取り戻した。

食事の用意、掃除はしなくなったものの、洗い物、ゴミほかし、洗濯物(干して畳んで片付ける)に関しては、自ら進んでやるようになった。


痩せ細った体重も日に日に戻っていった。


父に関しては一般病棟に移り、母の退院の3日後にリハビリ目的で他の病院への転院の提案をもらった。

やはり退院は無理なのか・・・!?


ドクターKからの提案は、父の体力では、在宅介護はほぼ無理に近いこと、大変であることをまず言われた。

まずはリハビリ専門の病院へ転院し、回復を待つことが回復への一番の近道だろうと。


父は、一般病棟に移ってからも相変わらず、

看護師さんに迷惑をかけていたようで、

点滴しようとする手を振り払ったり、

点滴を勝手にむしり取って外したり、

大きな声を出したり、

食事や薬を飲むことを拒否したりの問題児。

 

結果、一人部屋に移されていた。


恐らく父は何故自分が入院させられたのかわからず、ただ早く家に帰りたい一心だったのだと思う。


私もそうなのだが、(ま、病院が好きな人はいないだろうけど)父はこれまで一切病気したことがない人で、さらかなりの病院嫌いだった。


入院した人のお見舞いで行った矢先に、

「じゃ、帰るわ」

私のおじいちゃんやおばあちゃんの入院時でさえ、決して長居することはなく、お見舞いに来た私達を置いてさっさと帰ったりしていた。

病院は絶対的に拒絶、嫌な物は嫌!順応しない性質だった。


少し話せるようになった父は、

「家に帰らせてくれ」

「いつ帰れるのか」

ばかり言っていたらしい。

果たしてこれから、私達はどうしたらいいのかという問題に直面した。


私の考えは、ドクターKの提案に反して、無理にでも「在宅介護」するために父を家に帰らせてあげたいと思っていた。


恐らく、父の体力、生きる気力、そして身体機能が一番回復を望める場所が自分の家だと思った。


ただ、このことは一人では、とうてい解決不可能である。

もしも1人でやるなら仕事も辞める覚悟がいるだろう。


だけど4人いる兄弟が、しかも実家の近くにみんな住んでいるという利点がある。


1人なら、介護負担が全部1人にかかってくるが、みんなで協力しあえば1/4ですむ。

とはいえ、それさえ出来るのかどうかも覚悟が必要であった。


その上介護に関しても、世の中の介護の仕組みに関しても、介護の「か」さえ知らない全くのド素人だった。


ドクターKに、私の思いを伝えた。

恐る恐る、妹たちの意見を聞いた。

弟にはメッセージをその都度送った。

 

これは神様から試された

「兄弟4人の絆を試す試練」

「4人の子どもたちを両親に育ててもらった恩返しが出来る貴重な機会」

であると感じた。

 

その考えさえもが、その後ズタズタになるまで崩れ落ちるとは、その時は思いもしなかった。

 

↓  娘のiPhoneと病院に渡した

私のiPadと看護師さんとの会話

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