人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第19話 介護の味方と見方

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

元旦

……………

(本文)

人がこの世にそれぞれ存在するのと同じで、人それぞれの考え方の違いがある。

介護1つとっても、親の症状も性格も色々ある。

歩けるのか、寝たきりなのか、認知度はどうなのか、本来の性格はどうなのか、などなど。

 

介護する側も、 

 

1人っ子もいれば、兄弟が多い人もいる。

1人で親の面倒を見るのは大変だろうし、不安もあるだろうけど、1人で決めることができる。

 

兄弟は多ければ多い程1人あたりの負担は減る。

反面、意見が食い違えば、介護よりもそちらの方が厄介になる。

 

私には、心強い介護の味方がいました。

それは、自分の兄弟ではなく自分自身の家族でした。

娘は長女の子どもなので、従姉妹が生まれるまでのほぼ6年間おじいちゃん、おばあちゃんを独り占め。

私が正社員のまま仕事を続けていたので、保育園のお迎えに行ってもらったり、お熱が出るたびに預かってもらったり。

 

娘が若くで子どもを授かったので、私も48歳で既におばあちゃん。

娘の子どもは年子で、下は双子。

その孫ちゃんたちも、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんに、面倒見てもらうことが多かった。

 

保育園のお迎えにひいじいちゃんとひいばあちゃんが行くと、おじいちゃん、おばあちゃんだと思われていたようです。

 

そう言えば、娘と息子が小さい時も同じように、じいちゃんがお父さんだと勘違いされていました。

保育園の先生が、

「パパのお迎え来たよ〜」

と言われて、

よく父が照れていました。

 

そんな経緯もあり、娘、息子、そして孫3人は、じいちゃんばあちゃんっ子。

とても懐いていました。

私の夫も両親との食事に参加したり、料理を作って持ってきてくれたりいつも協力的でした。

 

両親の介護には、いつも家族みんなが強い味方でした。

 

そして、ケアマネジャーとの出会い。

介護のケアだけでなく、ケアマネジャーの仕事の枠を超えるギリギリまで手を差し伸べ、助けて下さいました。

私の強い心の味方でした。

 

最初、父の介護を始めた頃には、私の娘が加わらなければ、私も妹たちも仕事を持っているため、シフトが全く回りませんでした。

平日、妹が入れる日に入り、土日と平日私が時々休暇をとって入る。それ以外は、全部娘がアルバイトを休んでくれ入ってくれました。

介護ははホント大変で簡単な事ではなく、

下の世話、おしっこ、う◯ちとの闘い、シーツ交換、食事の用意、介助、父が話せなくてもなるべく話しかけ、身体を拭くなど(お風呂は父の身体が動かないので入れられなかった)やる事は山積みでした。

要介護5は本当にかなり大変でした。

お金が発生するような仕事として割り切ってやるか、

もしくは身内でないと出来ない大変さです。

その時は必死だったので気がつかなかったですが。

娘も私も片時も、父のベッドの側から離れませんでした。

泊まって寝る時も、横に布団を敷いて寝ていました。

 

みんなおじいちゃんが大好きだから。

 

元気を取り戻してくれる、生きる気力を取り戻してくれるように毎日話しかけ、寄り添っていました。

一緒にご飯を食べたり、一緒に話しをしたり、笑ったり。

 

介護のやり方は色々、人が100人いれば、100通りありきだと思います。

基本がしっかり守られていればあとは、

どれが正解で、

どれが不正解もない思います。

そして、それぞれやり方は違ってもいい

と思っていました。

 

妹たちのやり方は、

食事は作って運んでくる、

両親と一緒に食事はしない、

洗濯は母に任せる、

両親と一緒におしゃべりは無駄。

 

「なるべく親に寄り添わずに、

 両親の自立を目的とし、

 自分たちはヘルパーとして徹底し、

 ヘルパーはお金に換算され、

 やるべき事だけやればよい。」

 

実際に、

「私たちは、カリキュラムに則ってやってますから!」

と言っていました。

(カリキュラムって誰が作ったのかな?

それは一体何なんだろう?)

私はそのやり方を否定していませんし、

自分のやり方を妹たちに押し付けてもいません。

 

ですが、

私のやり方については、

常に口出したり、

NGを出して禁止したり、

挙句の果て、

完全否定し、

忌み嫌い、

一番介護が大変だった頃には、

一言も言わなかったのに、

その時期が過ぎると、

その考えを強制的に押し付けて来ました。

「長女の娘は、介護に加わるな!

 実家に孫、ひ孫は来るな!」

と。

その言葉には、確かに一理あり、

色々な意味が含んでいたという事もありますが。

 

その言葉の雲行きは、嵐の前ぶれを表していました。

 

↓ まだ父が寝たきりの頃

孫の立場の娘は毎回3食、

おじいちゃんに食べさせて

あげていた。

 

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