人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第45話 銀行の差押え

この記事を書くのは本当はものすごく気が重い。この事実を書かずに、その話だけスッポリ抜いて書くことも可能だと思う。

だが、あったこと全てを明確に記録に残したいと決心したので、書く必要があると思う。

今から思うと運の巡りが最悪だった年に遡る。

その時期とは?

両親がコロナ入院した時から丁度11年前に遡る。

その年は丁度東日本大震災があった年なので、忘れはしない。

2月の連休に私は事故で左足の膝の骨を折り、1ヶ月弱の入院を余儀なくされた。

夫は、網膜剥離が見つかり同時期に入院した。

本当に運が良くない年明けだった。

仕事に穴を開けるわけには行かず、早めに退院して毎日リハビリに行き松葉杖をついて仕事に向かっていた。

父はその頃仕事をリタイアしていたので、毎朝、職場まで車で送迎してくれた。

会社に連れて行ってもらっている途中、ラジオのニュースで東日本大震災が起きた事を知った。

 

夫の手術は成功し、大事には至らず退院できた。

その頃、仕事が忙し過ぎるピークの時期だった。

仕事量は完全に自分の許容量を超えていた。

残業が終わり帰宅、風呂、即寝る、又仕事に行くの繰り返しだった。

 

そんな翌年のおそらく9月ごろに銀行から通知が来ていた。

その頃忙しすぎて家に来る郵便物をちゃんと確認していなかった。

郵便物を家族がピアノの上に積んで置いていたがそれすら気がついていなかった。

 

たまたま、銀行からの最終通知である

「家を差押えます」

という書留をみて、ビックリ仰天!

なんだこれ?

と銀行に問い合わせたが、時すでに遅し。

家のローン残高全てを用意するか、家を銀行が差押えするかの二者択一しか選択肢はなかった。

 

しかし、こんな重要な書類があるのなら、その一歩前に書留とか、一度でも電話で知らせてくれるとか、そんなサービスがないのか!?

今までずっと銀行に利子を払い続けていたんだから。

銀行も酷いなぁと思ったが、そんな事は銀行にとっては知ったこったないだろう。

 

我が家の歴史は、平成元年に遡る。

自分の両親兄弟と住んでいたマンションを、貯金から頭金800万入れ2.300万円で父から買って、結婚して夫と住んだ。

残りは住宅金融公庫から借り入れした。

息子がお腹にいる平成8年夏に住んでいたマンションを3,000万円で売り、実家から車で15分ほどの場所に一軒家を購入した。

家の価格は4,800万と諸経費。

マンションを売った金額-住宅金融公庫へ返済=差額と貯金を足して頭金にした。

マンションはバブル期崩壊後だが、買った時より高く売れた。

銀行から3,500万借り入れし、35年ローン。

金利変動型で毎月13万均等返済、ボーナス月返済なしだった。

 

その13万ローンが引き落とし出来なかったのが原因であっけなく差押えとなった。

なんとも情け無い話だ。

単純明快な話で、ローンが落ちる口座にお金が入ってなかった。

他に貯金は沢山あったのにだ。

実は私は貯金が趣味だった。

豪快に国内旅行や海外旅行も行くものの、わりとコツコツとお金を貯めていた。

貯金のコツはただ一つ。

元からなかったお金として給料から天引きしてしまい、残りは全部使ってよい!という丼勘定だった。

わりと自分で言うのも何だが、使う時はパッと使うが、貯蓄は得意だった。

 

貯金が沢山あるのに、銀行からお金が引落し出来ないという何ともおかしな話だった。

貯金は絶対崩したくないが、実は手元の動けるお金だけを使うとマイナス補填も必要な時もあった。

引き落としする銀行は主人のメインバンクだったので、毎月引き落とし分を引いて少し補填が必要な月だった。

その少しの補填をたった1ヶ月見落としたための結果だった。

 

窮地に落ちたはずだ。

だが、わりと冷静だった。

落胆はしたものの、別に家を失っても死んじゃう訳じゃない。

しかも全財産を失ったわけでもない。

今までもそういった窮地はけっこう乗り越えてきた。

賃貸に住めばいいだけの話しだと思った。

逆に引っ越しすれば断捨離も出来るし、生活がスリムになるだろう。

次の部屋探し物件の事を呑気に考えていた。

理由は・・・。

年齢を経るとともに、そうそう人生の急変に動じなくなっていた。

物、家、お金に執着がなくなったのも理由の一つ。

心のこだわりを捨てて切り替える力もついていた。

実際に家を明け渡すことは、自分の中ではそんなに心苦しいことでもなかった。

 

娘と息子には、事情を詳しく説明した。

夫にも相談の上、自分の家は諦めて引っ越しすることに家族間で決定した。

即決しないと家のローン残高=借金に対して、1日10万単位の利子が上乗せされるからだ。

 

後日一応、夫と一緒に父に相談に行った。

その時は録音するなんて思いつきましなかったが、もしもそのやり取りの録音があったら記録があったのにと思う。

私も主人も父に、

「お金を貸して下さい」

と頭を下げたことは一度もなかった。

これだけは誓って言える。

ただ単に、

「こんなことになってしまったので、引っ越しするしかないと考えている。」

という報告をしただけだった。

 

父が祖母の家を売却した金額が3,000万円

私の家が差し押さえになり、

支払わなければ成らなかった金額が23,335,646円

2,600万円

この金額がまさに2,600万円事件と言われる由縁である。

 

その時、あわよくば「父から大金のお金を借りる」という選択肢は本当になかった。

もちろん半年前に祖母の実家を売った事は知っていた。

だたそのお金は、父自身の家(私の実家)のローン返済(完済)と、父の家の太陽光屋根取り付けなどの補修費にほとんど利用してしまったと思っていた。

そもそもが、父のお財布事情の事は全く知らなかった。

だから父がその時いくら貯金があり、いくら自由に使えるお金があり、毎月年金をいくらもらっているのかなど全く知るよしもなかった。

 

父がもし今、頭がしっかりしていて、当時の事を覚えていたなら、これから私が地獄を味わう事にはならなかったが、父は今さっき食べたご飯のメニューさえ覚えていない人になってしまっていた。

 

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