状況ははっきりした。
私の家から実家迄は車でほんの10分ほどの距離だ。
虫の知らせなのか、たまたま、ほんと久しぶり(昨年の11月からなので半年ぶり)に実家に行ってみたら、とんでもないことが起きていた。
しかも、名奈と連絡がとれたのは、仕事から帰宅後に実家に行ってすぐなので19時をとうに過ぎていた。
話はこうだ。
今朝、両親の調子が悪いのを早奈が気づいたらしく、昼間病院に行ったらしい。
「寒い~。寒い~。」
暗い部屋に一人母がぽつんと寝ている。
「お父さんが入院したのよ。私は大丈夫だから。とにかく寝させて。疲れているの。」
とやっと母が言った。
母はとにかくしんどいから寝かせてほしい。寝たら治ると思う、もう帰ってほしいと言わんばかりの状態だった。
妹の名奈は実家のすぐ近くに住んでいるので、すぐに来てくれた。
「お父さん・・・。コロナにかかったからもう助からないかも。」
まだ泣いている。
冗談ではなく、この時期のコロナはデルタ型で、毎日のTVのニュースでは重症化してバタバタと亡くなる人の話題で絶えなかった。
「早奈はどうしたの?」
と聞くと、父が突然入院してしまい、
(といっても入院が決まってから即、父とは会えない状態となった。)
病院から戻ったら、実家に母を一人置いて自宅に帰ったらしい。
「えっ・・・。」
あまりにもお粗末なやり方に呆気にとられた。
担当した医者も医者だが、早奈もどうしてそれ以降の対応の機転が考えつかないのか!?
それと同時にフツフツと怒りがこみ上げてきた。
元々、この妹の早奈と私は性格が合わなかった。
だが、自分の一生の中で一度も私は彼女のことを嫌ったりするような態度はとったことはない。
どちらも可愛い双子の妹なので、どちらが好きとか嫌いとかもなくごく普通に接してきた。
いや、どちらかと言えば嫌われていることを承知した上で、姉の立場としてなるべく話しかけたり、何かがあると誘ったりして彼女には気を遣ってきたほうだった。
ただ、同じ双子でも名奈と違い、常に攻撃的で陰湿、僻みっぽく、まわりの人を常に悪く言う、親切でかけた言葉も裏に取る、しかもとんでもない妄想癖があり、話を作る、盛る、話を作り替えてしまう。
いわゆる人間の種類で言えば、私の最も苦手なタイプである。
今までにもそんな事件やエピソードは数え切れないほどある。
しかも、ある事件をきっかけに早奈との関係は最悪。
お互いに二度と顔を見たくない存在になってしまった。
但し、全てにおいて私から仕掛けて「あんたが嫌い!」を前に出したことは一度もなかった。
何かあれば、姉を陥れてやろうとチャンスを狙っているのでは?と感じることが多かった。
何故かわからないが、常に姉の私を妬み、過去にも突然キレて怒鳴り散らされるような訳のわからない意味不明な攻撃を何度か受けていた。
私は、性格的にそういうタイプの人とは争わず距離を置き付き合わないし、全く相手にしない態度だったので、それがよけいに気に食わないようだった。
早奈の性格に関しては、早奈の旦那さんも理解を示し、弟の昌幸も充分わかっていたし、双子の妹の名奈でさえ早奈の性格を決してよく言うことはなかった。
「お父さんがコロナだったんだよね。
入院したんだよね?
父と一緒に生活しているお母さんが、コロナ陰性な訳を聞かせて欲しいんだけど?
お母さんも完全にコロナにかかってるとは思わない?
お母さんを実家にそのままにして、自分の家に帰るの?根本的におかしいよね。」
と問いただしたかった。
(アホか。)
空いた口がふさがらないとはこのことだ。
唖然とした。
そもそも私が実家から遠のいて両親に会いに行けなくなったのも、早奈の言動のせいだった。
実家に着いて状況を把握してすぐ、母のコロナ検査をしてくれる病院を探し回った。
私の娘も一緒に実家まで来てくれたので、電話をかけまくった。
コロナ救急、コロナ相談窓口、保健所、119、救急車要請、市民病院・・・。
だが・・・。
この時期にそう都合良く対応してくれる病院がそうそうあるわけがない。
たらい回しとはこのことだ。
しかも時間は病院が完全に閉まる夜になっていた。
もちろん、二次感染を防ぐために換気、マスク、母に近寄らないなどのできる限りの防御は怠らなかった。
コロナ感染の可能性はほぼ100%であること、救急であることを切実に伝え、コロナなら早急に入院が必要な年齢やリスクがあることを伝えた。
やっと夜間でコロナ検査対応の病院が見つかったので、救急車で搬送してもらう。
コロナ検査するまでもないが、検査結果は陽性だった。
父より3つ年下の母も82歳という高齢の母。
2~3日ろくに食事も食べていなかったようだ。
小さく小さくなっていた。
熱のせいか受け答えがかなりもうろうとしていた。
救急車の後ろから自家用車で名奈、そして、のこのこと悪びれる風もなく早奈も病院に来ていた。
かなり頭にきたし腹が立った。
今回の事に関しても全く謝ろうともせず平然としている。
いつものように上から下まで真っ黒の服に真っ黒の帽子をかぶっていた。
父の入院が決まった市民病院の空きが奇跡的にあった!
市民病院はコロナ病棟を増やしたばかりだったのだ。
父と同じ病院を強く希望した甲斐があった。
母もそのまま市民病院へ入院となった。
全ての手続きが終わった時には夜中を越えて次の日になっていた。
ほとほと、心も身体も疲れた1日であった。