人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第14話 父と私

父は小さい頃から、しつけに厳しい人だった。
母よりも、父の方が教育に関しては熱心だった。

そして、人として嘘をつくことは、絶対に許さなかった。

自分に厳しく、子どもにも厳しかった。(って言うか長女だけ特に厳しかった)

大きくなってからよく父に、

「私は兄弟の中でも特に小さい頃から厳しく育てられたよね。よく思いっきり叩かれたり。(笑)」

と言うと、

「一番上の子の育て方がよくわからなかったから、とにかく厳しく育てたと言うこともある。長女を厳しく育てておけば、下の子どもはそれを見本にうまくついてきてくれると思ったからな。だけど、上がこけたから失敗だったかなぁ。(笑)」

と答えてくれた。

確かに・・・。

厳しく育てられた反面、
両親の愛情に全く気づかず、
反抗し、
「勉強しなければならない」
という重圧に耐えかねてなのか?

中学生の頃、何かわからないけど荒れに荒れた。
外では何もなかったかのように明るかったが、

家では常に尖っていた。

そして、真剣に何度も死にたいと思った。

死に方もわからず、ましてや怖くて本気で死ぬ勇気なんてなかったので、何一つ実行には移さなかったが。

親に叱られて、家から閉め出されては、
マンションの階段下に座って、
シクシク泣いていた。

何で叱られたのか?
原因は全て、
「勉強しないこと」
にあった。

高校時代は家から出された。
3年間おばあちゃんの家から高校に通った。

大学時代は家出した。
やがて、家に帰らなくなった。

兄弟の中で、
両親に反抗し、
両親の忠告を一切聞かず、
両親を一番困らせたのは、
この私だ。

私立高校の費用も
大学の費用も
出してくれたのは親だが、
全くもって育てて貰ったことに感謝もせず、
当たり前の様に偉そうなことを言って、毎日を暮らしていた。

まだ妹たちが生まれていない、
私が幼稚園の小さい組さんだった時だった。
父に「バレエの復習をやったか」聞かれた。

今から思うと本当にその真意を疑うほど面白い話なのだが、父は真剣に私の習い事にも熱を入れていた。

バレエの復習とは、
家の玄関入ってすぐ見える位置のど真ん中に倉庫があり、そこに倉庫には開けるための取って(バー)がついていた。
そのバーにに片手を置いて、カセットの曲をかけ、バレエの基本である足のポジション、一番から五番まで、そして、骨盤を垂直に、上半身は真っすぐに、足で床を押して、柔らかい手つきで振りを付け曲に合わせて基本ポジションを続ける。

バレエ教室に行くと、毎回、このバーレッスンから始まる。
今でも、その振りとメロディを覚えている。

私は父の質問に嘘をついて咄嗟に、
「練習したよ。」
と答えてしまった。
練習してなかったことを怒られるのがすごく恐かったからだが、すぐにバレた。

やっていなかった事でなく、「嘘をついた事」に対して即、思い切りビンタが飛んできた。
そして、永遠にこっぴどくしかられた。

幼稚園の頃のことなのに、今でも強烈に覚えている。

その時代の昭和のお父さんは、みんなそんな育て方だったのかな?と思う。

昭和初期(11年)に生まれ、幼少期に戦後を経験したお父さん。
小学校4年生、私の孫の長男の年頃に戦後を迎えた。

私は習い事のエレクトーンは3歳前から習っていた。
いや、習わされていたというのが、正解だろう。
私がやりたい!と自覚する年齢より遥か前にもう習っていたのだから。
父は毎回習い事についてきて、レッスンの後ろの席に座り、持参してきたカセットレコーダーで曲と、先生のレッスンの注意を録音してくれた。

家に帰ると毎日父と一緒に復習した。
とにかくサボると凄く怒られた。

ある日、練習が苦痛になった私は、
泣きべそをかきながら、
「エレクトーン弾くのもう嫌だ!やめたい!」
と言った。

ちっとも楽しくなかったからだ。

その時の父の話は今でも忘れないが、
わからないなりに何となく説得力があり、不思議とその後やる気になった。

「お父さんの手を見てごらん?

おもちが固くなったみたいになってしまったから、

思うように動かない。

だから楽しい曲をたくさん弾きたいんだけど弾けない。

でも、小さな柔らかいお手てなら、練習すればなんでも曲が弾けるようになるよ。

すごいね。

お父さんに楽しい曲をたくさん聞かせて。

スポンジに水がいっぱい含むように、

子どもはたくさんのことを吸収できるんだよ。

大人になったお父さんは弾きたくても、

もう水はいっぱい含んでしまったから出来ない。

ほなみはこれからたくさんの可能性があるんだよ。」

と教えてくれた。

恐らく、子どもの可能性は限りないことを子どもの私にもよくわかるように伝えてくれたのだろう。

そのおかげで、今でも耳から聞いた曲は全てドレミの音階で聴こえる。
そして、耳から聞いた曲は何の曲でも弾ける、「絶対音階」を持っている。

実は、絶対音階は、誰でも聴こえる当たり前の事で人に備わっている機能だと最近まで思っていた。

友達から、

「何で一度聞いた曲が弾けるの?

えぇ?ドレミで聞こえるの?

そんな訳ないでしょ?

それこそミラクルやわ!」

と笑われて初めて、特殊な能力なんだ気がついた。

 

幼稚園、小学生、中学生の頃、ずっと父からは常に
「勉強しなさい。」
と言われていた。
「勉強しなさい!」
としか言われなかった。

母に手を出された事は一度もないが、父には、よく怒られよく殴られた。
恐らくその原因のほとんどは、「勉強しないこと」にあった。

父自身もとにかく真面目一筋で、親に迷惑をかけないように、

「大学は国公立しか行かせないぞ。」

と言われ、長男として、自力で一生懸命勉強して、国公立の大学を出た父。

よく父に若い頃の恋愛のことを聞くと、

「競馬の馬が目隠し付けてるやろ?

後方の視野を奪い、意識を前方へ集中させるためやねんけど、

お父さんも競走馬みたいに、

勉強と関係ないことは一切見ないで勉強だけしてきたから、

恋愛なんてとんでもないわ。」

と笑って言っていた。

私にも、自分がそう育ってきたように、

勉強すること、

嘘をつかないこと、

常に真面目であること、

をほぼ強制的にそう育てようとした。

 

面白いことに、そこまで厳しく育てなくてもいいと思ったのか、

次に続かなくなったのか、

はたまた、仕事が忙しくてそれどころじゃなくなったのか不明だが、

弟や妹には、
「勉強しなさい!」
という父の厳格な教育方針は全くと言っていいほどなくなった。

私を厳しく育てた分、そんなに厳しくしなくてもそこそこ育つことを悟ったからだろうか、やりすぎた感があったからだろうか。


弟は、予備校に通ったが私から言わせればほぼ遊んでいた。
結局は2浪して、妹が見つけてきた北海道のFランク校に行った。

妹たちは双子そろって、親の目が届かないところでぬくぬく?のびのび?育った。

恐らく

「勉強しなさい」

と言われたことは一切なく、恐い存在もいなかった。
双子の妹は、誰も聞いたこともない自宅から通える範囲内で行けるが、かなり通学距離が遠い僻地の短大にそれぞれ別々に行った。

 

↓ 私が10年間通っていた「長宗我部和子先生」のバレエスタジオ

 

https://ckbs.jp/studio/

 

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