私は金曜日の夕方から、土日泊まり、月曜日の朝まで介護のため実家に通っていた。
ところが、妹からの嫌がらせが毎回、毎回、酷くなってきていた。
「手書きのお札」や「ハガキ」あちこちに置かれるようになったのだ。
おそらくこのハガキは京都龍安寺の蹲踞(つくばい)に書いてある文字だと思われる。
2022年は実家のリビングに瀧安寺のカレンダーも掛けてあった。
↑ 100円玉がお賽銭?盗るか試すため?セロテープで留めてある。
実家は次々と奇々怪々な祭壇が沢山存在するようになった。
あちこちの場所、あちこちの部屋、何十枚も異様なほどそのお札は置かれた。
まるで、宗教部屋のようにその枚数は全部数えると百枚を遙かに超えていた。
そこに書かれた言葉の数々は、
「吾唯足知」
「足るを知る」
「六毒」
「貧、瞋、痴、慢、疑、見」
「牽強付会」
「六波羅蜜」
「天網恢恢疎にして漏らさず」
などだった。
開けるとこ、見るとこあちこちにお札があった。
宗教はバラバラで仏教もあるし神社もあるし十字架も観音様も達磨像も仏様もいた。
この時期からは早奈、名奈のどちらが、嫌がらせをしているのかは不明だった。
だが、書かれた筆跡からするとほとんどが書いているのは名奈だった。
知らない言葉が多かった。
ほぼ全ての言葉を
「なんて読むのか?」
「意味は何だろう?」
とググったのだから。
ネットで一生懸命調べて戒めの言葉を書いたのだと思う。
恐らく、
「お前に天罰が下るからな 神様より」
と見えるように書いたお手製のお札なのだろう。
これらの言葉を調べる事により、かなり勉強になった。
ほとんどが仏教に由来する言葉であった。
↓ お風呂場の頭上からトイレ掃除した雑巾を
干している。
私は、この行為は不浄だと思った。
両親が使うお風呂の
頭の上から雑巾がぶら下がるのだけは、
許せなかった。
いつも行くと即外したが、また次の週には
戻っていた。
↓ 何かしら難癖を付ける材料を探していたのだと思う。
しまいに実家からトースターと炊飯器が消えてしまう。
妹たちが両親に提供する朝食はフルグラと豆乳。
昼と晩ご飯はタッパで持ってくるから困らない。
家族が多いので、何人来ても困らないほどあった茶碗も汁物用のお椀もコップもスプーンもフォークもお箸も全て実家から消えてなくなった。
残ったのは、両親の2組だけ。
私は、セロテープを外してお客さん用の皿やカップでご飯を食べる羽目になった。
一体何がしたいのだろうか?(笑)
↓ 下記は、早奈の筆跡である。
早奈から名奈に宛てた手紙。
中にお金が入っていると書いている。
「吾唯足知の人に気を付けて下さい。」
盗まれるので気を付けてという意味だろう。
この文章で早奈が如何に「学がない」か覗える。
「吾唯足知」とは、「足を知る」にも通じる言葉だ。
決して悪い言葉ではなく、どちらかというと「そういう人でありなさい」という悟りの言葉だ。
京セラ、第二電電(現KDDI)の創業者であり、日本航空(JAL)を再建した、かの有名な稲盛和夫さんがよく講演会で話されていた言葉だ。
父はよくこの話をしていた。さらに稲盛和夫さんの講演会の原稿をメールでくれていたので、私も知っている言葉だった。
父の話をしっかりと聞いていたなら意味は充分理解出来ていたはずだ。
「現状に満足することを知っている人は、今、自分に置かれている状況受け入れ、ありのままの自分を知っている。おごることなく受け入れれば、貧しくとも幸せである。
逆に、多くの富を持っていながら、それに気づかず不満を持ち、隣人をうらやみ心が飢えてしまっている人。自分の今置かれている現状にいつも不満をかかえている人は、たとえお金持ちであったとしても不幸である。」
元々は、お釈迦様の教えであり「幸せ」の本質、心の持ちようで人は足る(満足する)のだということを言い表しているのだと思う。
早奈が「吾唯足知」の人に気を付けて下さいと書いている時点で、恥ずかしい。
姉が現状に満足し、「足を知る」得のある人格者だと認めていることになる。
言葉の意味も理解せず、付け焼き刃なことをする、いかにも早奈らしいと思った。
アイスクリームの「爽」そうをお店で大きな声で「シャー」と連呼するくらい恥ずかしい知識の持ち主だから。
↓1階にあった食卓に椅子が2階に運ばれて、電気コードでぐるぐる巻きにしてある。
他の椅子も全部どこかに行ってしまう。
「吾唯足知」のハガキがそこら中に置かれている。
↓ 2階の各部屋は、全てバリケードされてしまい
物を置いてハガキで入れないように封じられる。
↓100均の額に達磨像、お釈迦様、観音様、吾唯足知のハガキを入れあちこちに飾る。実家のどこから集めてきたのか不思議なのだが達磨、こけし、お釈迦様、観音様、の画像や仏像、キリスト像や十字架を何個もちりばめ2階の各部屋は異様な風景になっていた。
そんな暇なことするのなら、お父さんと一緒に話しをしたり、散歩に行ったりすればいいのになと思ったが、全くそんなことは一度もしなかった。