とにかく、早奈と名奈の呪縛から逃れたかった。
妹たちを憎んだり嫌ったりする気持ちは全くなかったが、完全に関わりを断ちたいと心から願った。
私たちの目の前に関係のない担当日でない日にわざわざ現れることも、訳もなくでドナリチラされることも嫌だった。
逆に一度たりとも、私が妹たちの担当の日に実家に口出ししに行くことはなかった。
話し合いも要らない。もうこれ以上関わりたくないと思った。
毎日、寝る前に神様にお願いした。
これ以上、攻撃が来なくなりますように。
妹たちの気持ちが収まりますように。
私への誤解が解けますように。
そしてお父さんの身体や能力が回復しますようにと。
ただ、何もせずに黙って妹たちに従っていた訳ではない。
このブログを1話から読んで、⭐︎を順番に付けて下さり、その上でブックマークにコメントを下さったハピチわブログのmendokusainoYADAさんにここで感謝の気持ちを表したく、この回の話題を入れた。
あちこち探したがコメントにお返事ができなかった。
実は、妹たちからやられっぱなしで、私の思考は停止してたままな訳では無かった。
そう!「カモの水かき」だ。
カモが水上では澄ました顔をしていても、水の下では足をパタパタと必死に動かし泳いでいるように、水面下で必死に解決策を考えていた。
ひとつ、ひとつ、その案をつぶしていった。
試してみたことをここに記述してみる。
① 魔除けのお札を買う
② 魔除けの石を買う
③ お寺参りに行く
④ 神社お参りに行く
⑤ お墓参りに行く
父方、母方の両方のお墓
父方の福知山にある本家のお墓
鳥取にある夫の両親のお墓
⑥ パワーストーンのブレスレットを買う
⑦ ノートに毎日願いを書く
⑧ 髪を切る
⑨ 父の記憶をたどる
⑩ 色々な人に相談する
この10項目である。
その中の①から⑧は、効果云々よりもどちらかと言えば、もはや「神だのみ」である。
⑨は、父となるべく話しをしてヒントをもらう努力をした。
父の言葉の中にヒントは確かにあった。
そして、⑩に関しては、ありとあらゆる人に相談した。
1. ケアマネージャー(メールと対面で何度も)
2. 地域包括担当者(ケアマネージャー同席)
3. 警察に相談
4. 父の兄弟に会って当時の事を聞く
5. 市会議員に相談
6. 市の無料弁護士相談
7. 法務局、税務署で聞く
8. 父が祖母の家を売却した当時の不動産さんを探して聞く
この8つの項目の人々に聞いたり相談するために、今までの経緯と妹の嫌がらせに至るまで、もちろんこのブログに書いたような元々の原因である、2,600万円事件の事も包み隠さず、8枚ほどの文章にまとめて渡した。
きちんと事情を説明しようとすると、必死で文字を追い省略しても、文章が長くなってしまう。
どこかで読んだのだが、文章がやたら長いのは昭和世代の特徴だそうだ。
ただ、決してだらだらと長くなった訳ではない。
父の在宅介護をするまで、地域包括支援センターという機関や、ケアマネジャーという職業がこの世に存在することすら、知らなかった。
父の担当のケアマネジャーさんは、本当に親身になって私の話しを聞いてくれて色々と動いて下さった。
ほとんどの父の用事や報告、連絡や相談はメールで交換していた。
その一環で、妹たちの酷い嫌がらせについてもその都度メールで相談にのってくれていた。
この方が本当に偉いなと思ったところは、決して私という一方だけの意見を鵜呑みにせず、妹2人に確認し、妹たちの意見や状況を必ず聞いていた。
ケアマネジャーさんの仕事である父の状況報告日や、翌月の予定を報告する時も、私と会った次の月は妹、翌月は私にと対面で会えるように予定を組んでくれていた。
特にそう頼んだ訳でもなかったのに。
必ずメールも読んで何らかの返事をくれた。
かなり後から聞いたのだが、市の職員立ち会いで妹との話し合いの場を設けるという計画も市にかけあって実行の手前までしてくれていた。
だがその提案は、名奈に阻止されたようだった。
理由は、
「人の家庭の揉め事に入らないで下さい!」
ときっぱり断られたらしい。
父の介護の相談でなく、妹との揉め事なのに、
「そんなの関係ねー!」
って小島よしおみたいに断ってもよかったのに、ケアマネジャーだけでなく、地域包括の担当の方も立ち会いで、何度も状況説明をして、話し合いと解決策をうち出す場を作ってくださった。
もちろん妹たち仕打ちの事は包み隠さず、自分の事も隠さずに話した。
実はそんなケアマネジャーさんの親切をいい事に最後の最後まで名奈も早奈も、ケアマネジャーさんを顎で使っていた。
私との携帯は着信拒否し、LINEもメッセージも拒否、電話で私とも話したくもないのだろう。
でも、父の在宅介護という共通のやらなければならない事がある限り、お互いの連絡だけは必須だった。
そこで私への伝言を、
「姉に◯◯と伝えといて下さい。」
と、まるで伝書鳩のようにケアマネジャーさんを使っていた。