人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第80話 弟のこと

60歳 還暦

来年の誕生日には、自分の人生のほぼ後半以降にさしかかり、生きてきた人生よりも残りの人生の方が残り少なくなってきた。

今まで楽しい事は数え切れないほどあった。

だが、還暦を目前にした、2021年11月の早奈サイバー事件から始まった2022

年、2023年に自分の身に起こった数々の屈辱、妹たちの仕打ち、行き場のない気持

ちは永遠に絶対に忘れられない。

不条理であること、道理に合わないこと、筋道が通らないことが、当たり前の様にまかり通る小さな世界が本当に存在していたからだ。

 

そして、もう一つ絶対に忘れてはならない事がある。

この事を書くかどうか迷ったが、この一連の出来事に繋がるので書くことにした。

 

弟の行いだ。善悪の判断がつかない小さな頃の話ではない。

半世紀過ぎ生きてきた、55歳過ぎたいいおっさんが自分の父親、自分の母親に対してやった仕打ちである。

 

弟は結婚してから、長男、次男が生まれて家庭が順風満帆かというと決してそうではなかった。

あまり詳しくは触れないが、単身赴任が多く自宅に何十年も戻らずだった。

おそらくイライラがマックスだっ時期があった。

その頃、(両親がコロナになる5年~7年前くらい)仕事の関係で実家から現場に直接通っていた。

何が起因したのかは不明なのだが、最初は母が標的になった。

夏の暑い中、何度も家から追い出されるようになった。

 

最初は母が飼い犬のルビーちゃんを連れて、パンや飲み物を買ってやたら私の家に届けにきてくれた。

実家から、私の家までは車で15分くらいだが、歩けば母の足だと2時間ほどかかる距離だ。

その時にすぐ気づかなかったのは母に申し訳なかった。

母が来てくれたのが午前中で、午後から私がたまたま出かけた時に、偶然ルビーちゃんを連れた母にえらく遠いホームセンターで出会った。

恐らくずっと暑い中外をあてもなく一日中歩き回っていたのだ。

そんな事が頻繁にあった。

夜、たまたま実家の近くを車で通った時、母が遅い時間なのに犬のルビーちゃんを連れてウロウロしていた。

「何してるの?」

と聞くと、母の答えがしどろもどろで要領を得なかった。

どうやら、弟に家を閉め出されたらしかった。

その頃から夜中に何度か私の家に来て、泊まるようになった。

土日に実家に行くと、弟の目に余る行動が出てきた。

私たちの見ている前で、母に対し暴言、倉庫に閉じ込める、家から追い出し鍵を閉めるなどの行為だ。

名奈と私、姪っ子も目にしていたので、知っているはずだ。何度も注意した。

お酒が入ると、舌打ち、ツバを吐く真似、強くではないが頭をボコっと殴る、つねるなど酷かった。

常に顔をしかめてイライラしていたのがこちらにも伝わってきた。

その時期から、私たち家族はあえて弟がいる土日は母を誘って、父に許可をもらい母とお出かけするようになった。

丹波篠山、道の駅めぐり、淡路島、ディズニーランド、ディズニーシー、白川郷、など楽しい思い出を沢山作った。

何が起因したのかは不明なのだが、今度は父がターゲットになった。

父に原因を聞いたら父が弟と嫁の事を何か言ったせいかもしれないと言っていた。

今度は母を気持ち悪いほど猫可愛がりしだし、お酒が入るとふざけて、「ママ〜」とチューしたりしていた。

父へは、ツバを吐く真似、舌打ち、ボソボソと悪口を言う、同じ空間に居させない、睨みつける、極めつけは奥の和室に父を追いやった。

その頃たまたま実家に行くと、弟はリビングの椅子にふんぞり返ってキツい目つきでお酒を飲みながらTVを見ていた。

椅子の脇の手すりに焼酎を置いて、ベロベロになるまで酔い、母は弟の言いなりになりオロオロしていた。

父はいつ行っても奥の和室に布団を敷いてごろんと寝ていた。

食事さえ、弟に指示されて母が和室にいる父に運んでいるような異様な風景だった。

おそらく弟がいる時は、トイレ以外は奥の和室から一歩も出られない軟禁状態だった。

時々行った時でさえいつもそうだったから、常にそうだったのだろう。

弟は私に、

「同じ事ばかり言う。親父はもう長くないで。」

とニヤニヤ笑って私に耳打ちしたので、

「いい加減にしいや!あんた一体何様なん?ここははお父さんの家だよ。」

と弟を叱った。

そんな事を言う弟がすごく悲しかった。

ある日父は突然、家出した。

携帯で連絡が取れたが、お遍路さんに行く、いつ帰るかわからない。とのことだった。

実は母を誘ったらしいが、一緒に行かなかった。

父は1週間ほど行方不明だったが、その頃から少しずつ、脳や身体に自由が効かなくなっていたんだと思う。

お寺周りでキツい傾斜の階段に座り込んで座ったままお尻で一段ずつ降りたらしい。

お財布をなくしてしまい家まで戻ってきた。後日発覚したが、その前日泊まった宿に財布を忘れて来たらしい。

帰って来た父は、

「もう死んでもいい。死に場所を見つけに行ったんや。」

と言っていた・・・。

 

今から思うと、自分の息子のいじめのターゲットになったお父さん、お母さんは、妹たちのいじめのターゲットになった私と全く同じだったのだと思う。

自分の身内なので何も言い返せなく、ただ悲しいだけ。

相手は子どもじゃない。

言い返せば結局は争いがドナリチナシあいになる。

なんの解決にもならないし、言い返す気力もないからだ。

 

その頃から、弟が家にいる土日は必ず父を外に連れ出した。

父と一緒にたくさんたくさん楽しい事をしたい!色々なところに出かけよう!と思った。

関西から中国、四国、淡路島、中部地方、東北、などありとあらゆる場所に、色々と調べて企画しては、一緒に遊びに行った。

もちろん、交通費、食事など費用は全部私が出した。

父は、妹たちへのお土産をいつも買っていた。

必ず一緒に私の家用にも同じものを買ってくれた。

父はお土産のお金だけは自分で出していた。

Facebookに行った都度記録していたが、かなりのボリュームになると思う。

コロナ禍になるまで行っていたので、2020年3月まで続いた。

 

コロナ禍になるころには、弟も自分が住んでいる独り暮らしのアパートに戻った。

その後早奈によるサイバー事件が起こった。

 

弟が、そうやって親に対してやった仕打ちは、人としてどうだったのだろうかと今でも思う。

おそらく弟自身は忘れているだろう。

今、弟にこの事を問うたら、きっと、

「そんな事は一切してない!」

と答えるような気がする。

もしよければポチっとお願いします。