人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第90話 コロナ禍の逃避行

年末も近くなり年末年始の予定が知りたかった。夏休みくらいから毎月何度か機会を見ては、年末年始のカレンダーに、妹たちの予定を先に記入してほしいと手紙を書いておいたが一向に返事をもらえなかった。

本来なら土日祝日は私の担当日なので、カレンダー通りとなるだろう。

 

だが、毎年年末は、実家の台所を早奈と名奈が占領して、2日くらいかけてお節料理を作るのが恒例になっていた。

自分の家の台所が汚れゴミが出るのが嫌だから?

一緒に作れば手間も材料も共有できるから?

色々な理由からだろうけど私から言わせると、そもそもなんで自分の家でやらないのか?

とは思っていた。

だが、恒例行事にして楽しみにしているようだし、特に私には関係ないことなので口を挟むこともなかった。

だが案の定、前年年末に、実家に帰って来た弟がめちゃくちゃキレて大騒ぎになったらしい。

「もう帰ってくれ!おせち料理を実家で作るな!こんな事は自分の家でやれ!」

と思い切り怒鳴られ、慌てて食材を全部2階に持って上がり、2階でお節料理を詰めたという、とんでもない笑い話は名奈から以前聞いていた。

その年のお正月は早奈からサイバー攻撃を受けた年なので、私たちは実家に寄り付かなかった。

 

年末から早奈たちがおせちを作っている所へわざわざ出現したくなかった。

年始は一人暮らししている名奈の長女、早奈の長女も帰ってきたら必ず実家に来るだろう。

毎年1月2日は親戚が全員集合していた。

(早奈のサイバー攻撃事件があってからは私達は行ってないが。)

その予定も知りたかった。

だからといって、実家で両親とゆっくり楽しんでいるところにまた、連絡もなく急に、ドカドカと来られて帰るのも、もう勘弁してほしかった。

 

↓ よほど腹が立っていたのがうかがえる。

くしゃくしゃにしてねじって押し入れの奥に隠してあった手紙を見つけたが、結局この返事はもらえなかった。(色々と書いているのは名奈の字)

 

クリスマスのお祝いと娘のお誕生日が近いのをかねて、イタリアン料理のカプリチョーザで家族みんなでお祝いした。

 

その翌々日、息子の彼女がコロナに感染した。

 

息子は結局調べてもらわなかったが、明らかにコロナ感染者だった。

私たちは息子と接触したので濃厚接触者となった。

その頃の濃厚接触の定義が変わって来たものの、わざわざ濃厚接触者が高齢の両親の所に行くのは絶対NGだろう。

 

実家へは両親に食事だけ届けるようにした。

 

濃厚接触者になった経緯の内容、年末年始がちょうど特に高齢者との接触禁止時期に該当するだろうという事を手紙に書き、一応、息子の彼女さんのコロナ感染が陽性だった証明書のコピーをつけた。

 

実家と名奈の家の2カ所に書いてポストに届け、年末年始は住んでる街からも出る事に決めた。

 

年末年始の担当をどうするのか?と何度も手紙を書き直して問うた。

「姉が憎い」のと「介護の連絡」は別の件として捉えるべきだろう。

きちんとやり取りしてほしかったが、結局はなんの返事もなかった。

カレンダーに名前を記入してさえくれれば素直にそれに従っただろう。

濃厚接触に対しても、手紙を入れてから日にちの余裕があったのだから、もしも両親がコロナ感染してもいいから、実家に行くように指示をくれたら、実家に行っただろう。

年始から名奈のドナリチラシにあうのは絶対に避けたかった。

 

何一つ返事をよこさなかったのだから、こちらとしても当然の処置だった。

濃厚接触者が不要不急の外出をするのはどうかと思いもしたが、とにかく逃げたかった。

 

ただ、次郎物語の主人公のように何一つ計画もない「無計画の計画」の旅だった。

 

とにかく、年末年始はモヤモヤを一切忘れて、

12月29日を皮切りに・・・。

岡山県、日本一の駄菓子屋でお菓子爆買いからの

 

 

南備讃瀬戸大橋を渡りうどん県へ

うどんバカ一代で釜玉うどんを堪能

 

 

ドーミーイン高松中央公園に2泊

ふれあいパークで思い切り遊び、

与島パーキングエリア

讃岐うどんを食べて

岡山県に戻り

ザ・ワンファイブガーデン倉敷に2泊

アフタヌーンティーを堪能

全員分2日分(宿泊に付いてきた)

 

 

岡山美観地区を堪能

また高松に戻り

コンフォートホテル高松駅前に1泊

高松港から女木島へ(鬼ヶ島)

父母ケ浜、別名日本のウニ塩湖でマジックアワーに夕日に映る水辺の写真を撮って

 

 

ザセレクトン倉敷水島1泊

岡山デニムストリート

(最終日)1月4日 日本一の駄菓子屋さん(再び)

 

何もかも忘れて楽しいはずが・・・。

 

12月30日から31日にかけて何度も何度も携帯に電話が入り出した。

実家からだったが、出なかった。

 

後で気づいたのだが、留守電に鬼のような声が何度も入っていた。

「電話に出ろ!濃厚接触だ?そんなわけない!勝手なことするな!許さない!」

という内容だった。

「どこにいますか?電話下さい。」

という母からのとぼけたような声のメッセージもあった。

数えると合計で19回も留守電がが入っていた。

諦めない執念深さに脱帽した。

 

しまいに、知らない番号から電話が入った。

なんと地域包括支援センターからの電話だった。

迷惑な話だ。

お正月なのに、担当者ではなくたまたま事務所にいた方からだった。

妹さんが怒鳴りまくっている、こちらに帰れない事情ですか?と聞かれた。

今の事情を詳しく話した。

濃厚接触した可能姓があること、不要不急の外出は控えるべきだが、妹とのトラブルがあり地元から出たことなど話したら、妹さんに話してみますとのこと。

 

折り返し電話が入った。

相手は納得いかないようだった。

地域包括支援センターの女性の方は、

事情をきっちりとこちらが話したこと、

今、遠地にいるので帰れないこと、

地域包括はこんな事をする機関ではないので謝罪を伝えると、

「こちらで何とかします。」

と答えてくれた。

「実家の近くにいないので帰れないということだけで突っぱねます」

と言ってくれた。

おそらく、名奈のドナリチラシ攻撃と私の冷静な事情の伝え方を聞いて、事の成り行きを把握して、しっかり判断されたようだった。

それからは諦めたのか電話は入らなくなったので、無事旅行を続けられた。

 

ザ・ワンファイブガーデン倉敷の一泊目の夜中、原因不明の胃痛が続き、夜中ずっと吐きに吐いた。結果血が滲んできたが収まらず痛みが何時間も続いて寝られなかった。

牡蠣か何か食べたかのか?いや食べてない。

結局、旅先なのでお医者さんにも行かず、翌朝やっと痛みがやわらいだ。

今から思うとストレスからきた胃痛だったのだと思う。

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