「認知症」
自分にとっても、自分の両親にとっても全く縁の無い言葉だと思っていた。
特殊な人が、まれにかかるような「病気」だと思っていた。
実際に、妹たちは「お父さんもお母さんも年齢なりですから!認知症じゃないから!」と完全否定している。
その気持ちは本当によくわかる。
だが明らかに、両親の認知度は目に見えるような速度で低下している。
今の季節は何か?
先ほど食べた食事の内容は?
今日どこへ出かけたのか?
今日は何月何日の何曜日なのか?
それを新聞、カレンダーで確かめたわずか数分後には、同じ答えが出てこない。
事の前後がわからなくなり、直近の記憶が明らかにすっぽり抜けてしまっている。
これを間近に見ていながら「年齢なりですから!」と答えるあなたは一体何を見ているのかと何度も問いたくなった。
実際に、コロナで入院し退院するときに、両親のCT映像をドクターKが見せてくれた。
頭の写真の中に池の様な黒い楕円形があり、その中に脳の白い画像があった。
説明を受けて脳の萎縮が素人目にもわかった。
両親とも同じような画像だった。
ドクターKも、ご夫婦でどちらかがという事はあるが、どちらも顕著に認知症状が低下する事は珍しいとおっしゃっていた。
妹たちは勘違いしているが、
「認知症は病気の名前ではない。」
「年齢相応の脳萎縮の定義などもない。」
認知機能が低下してきている状態なのだから、そこからどういう対応をすべきなのかを考える必要がある。
ケアマネージャーさんも、両親の脳の症状については、今どういう状態にあるのかは、気兼ねして言葉には出さなかったが理解されていた。
昔から「ぼけ」や「痴呆」と呼ばれてきた、認知症とはそもそもどのようなものなのだろうか。
世界保健機関(WHO)が定める認知症の定義は「慢性あるいは進行性の脳疾患によって生じ、記憶、思考、見当識、理解、計算、学習、言語、判断等多数の高次脳機能の障害からなる症候群」です。つまり認知症は病名ではなく、認識したり、記憶したり、判断したりする能力が障害され、社会生活に支障をきたす“状態”のこと。
父は最初「正常圧水頭症」の疑いがあると言われて、父と一緒に大学病院と物忘れ外来にも行った。
大学病院の専門医に診てもらった結果は、他の症状から見て「正常圧水頭症」ではないとの診断だった。
「正常圧水頭症」だったとすれば治療が可能で、脳の改善が明らかに見られるらしい。
市立病院の物忘れ外来の先生は面白い先生で、なるほどとなる説得力があると感じた。
神経心理検査は、年齢、日付、場所、言葉の記銘、計算、逆唱、言葉の遅延再生、物品再生、言葉の流暢性、など質問に答える検査があり数十分で検査が可能だ。
次回、予約して検査できるが検査は認知機能の程度の目安を診断するだけで治る訳ではないよ。
画期的な治療薬もそうそうない。
今の医学ではそのくらいのことしか出来ない。
「それでも検査します?」
と言われた。
「え?その質問にどう答えたらいいの?」
となった。
本気でお父さんの事を考えるのなら、認知機能をこれ以上酷くならないようにする方法はあるよ。
「病院に入院させない事」
それだけ。
病院の先生なのに、病院に入れてはいけないと、相反すること言った。
病院に入れたら、何も頭を使わず寝てるだけになる。医師も看護師もその患者さんだけ付きっきりになる事は不可能だから、実際には生かされているだけの状態になる。
どんどん認知機能は悪化をたどる。
と言われた。
なるほど。納得がいった。
あなたがお父さんと一緒に話したり、出かけたり、歩いたり、すれば、ある程度の認知機能の低下は防げると丁寧に説明してくれた。
素人の私が先生と全く同じ事を考えていたので、驚いた。
思わず先生にその事を伝え、私の持論を言った。
認知症を怖がらずに、人の寿命を越えるほどに、その認知度の低下を遅らせることは可能って事ですよね!
と伝えると、先生が、
「そうそう!その通り!」
と意外にも意見が一致したので嬉しくなった。
グループLINEには、物忘れ外来の報告を書いた。
物忘れ外来には、次回の検査予約を入れ、さらに調べてもらうつもりだった。
だが、2回目のコロナ感染と重なりそのままになってしまった。
今更だが、早奈サイバー事件前までは両親ともに認知機能は低下していなかった。
しっかりしていたからこそ、早奈に向かって、
「あなたが帰りなさい!」
と叱ってくれた。
早奈サイバー事件から半年で、一気に両親の認知機能が低下し、その後1年半で両親は下記の症状ほぼ全部が全部当てはまるようになっていった。
▶記憶障害:
数時間前にあったことを忘れてしまう
同じことを何度も言ったり、聞いたりする
人の名前や物の名前を忘れる
▶見当識障害:
今日が何月何日の何曜日なのかわからない
いつも通う道で迷子になる
昔の事を最近の出来事と思う
▶理解力・判断力の低下:
これまでできていた手続きなどができなくなる
人に物事を説明することが難しくなる
テレビ番組など興味がなくなる
認知症になると感情は残るのだろうか?
認知症が進行すると物事の前後の事実関係は忘れてしまう。
だが、その時感じた感情は心に強く残る。
「失敗した内容」は忘れてしまうが、
「怒鳴られた・怒られた」という感情だけは残る。
「あの人は怖い、すぐ怒る、嫌いだ」感情だけが残る
と、信頼関係を築けなくなる。
父は私や娘の顔を見ると必ず、嬉しそうな顔をして
「今日はどこに行こうか?」
と言ってくれる。
私や娘の顔を見たら嬉しい。
一緒にどこかに出かける。私を信頼してくれ、私が決してドナリチラシする人でない事はわかってくれていたと思う。
「否定する」
「強制する指示」
「急がせる」
「尊厳を傷つける」
「激励し過ぎる」
全部が妹たちに当てはまる気がするのは私だけだろうか。
あの、「ピンクのバインダー」に書かれている事実。
そんな対応をした妹たちに対して、父の気持ちは一体どうだったのだろうか。
「認知症」
もしも自分がなったらと思うと怖い。
他人事では決してない。
記憶がどんどん消えていく不安。
いずれ物事の前後がわからなくなる。
失禁、おむつ、命令される。
自分の意志で動けない。
介護される立場になる。
両親の後ろ姿と妹たちの酷い対応を目の当たりにして、色々と考えさせられた。
記憶を中心とした認知機能障害について調べるスクリーニング検査、「長谷川式簡易知能評価スケール」の発案者であり、認知症医療の第一人者であり、自らも認知症であると公表した、
精神科医の「長谷川 和夫」さんの著書
「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」
の中にこういう言葉がある。
「認知症は、やがて神様の元に行く死への恐怖を和らげる自然の摂理なんだ」
と。
「認知症は恐ろしい病気だと思われがちですが、その本質は「暮らしの障害」です。それまで当たり前のようにできていた「普通の暮らし」ができなくなっていくのが特徴です。」
「認知症になっても「人」であるのに変わりはないこと、この長寿時代には誰もが向き合って生きていくものだ」
「認知症は、死への恐怖を和らげてくれる存在のような気がする」
両親の事だと思っているうちに、自分にもそういう時がいずれくるのかもしれない。
2024年現在、65歳以上の高齢者の約5人に1人が認知症だと言われている。
決して他人事ではない。
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