人として大切なこととは?

子、孫、そして次の世代に伝えておきたい忘れてはいけない記録

第94話 調停への道

妹たちのじわじわと激しくなる嫌がらせが始まってから年が明け、名奈の自宅への攻撃が始まった頃から、心の奥底で小さな反逆心が芽生えやがてそれは次第に強くなっていた。

だが、私は決して妹たちの事を恨んでもいないし、嫌ってもいなかった。

逆に、どちらかと言えば人として明らかに呆れていた。

 

だが、これだけはやはりハッキリとさせたかった。

 

① 2,600万に関して私は一切潔白であること。

 

② 600万を父から借りたのは事実だが、間違いなく既に返済を完了したこと。

 

③ 名奈が言った数々の暴言については、一つ一つ解明が必要であり、証人を連れて来てでも潔白を正す覚悟であること。

 

④ 妹たちの心からの謝罪があれば、全てを許し、和解し今後も姉妹か協力し合って両親の介護を続けたいこと。

 

これだけはどうしても譲れなかった。

 

市役所弁護士相談、会社のEAP相談でも「法テラス」を紹介された。本当のところは裁判を起こしてでも身の潔白を勝ち取りたかった。

だが、妹たちを

(1)暴行罪 
(2)傷害罪 
(3)脅迫罪 
(4)恐喝罪 
(5)強要罪 
(6)侮辱罪 
(7)名誉毀損罪 
(8)いじめ防止対策推進法による処分

のどれか、または複数で起訴したとする。

勝ち取った対価は、やはり「賠償金というお金」に変えられる。

そうなると私はお金欲しさに訴えたことになり、それでは本末転倒だ。

お金は1円も妹から取る気はない。

 

① 念のため救急車で運ばれた病院から診断書をもらった。 

 

② 父の家計簿を集計したことにより、約7年間分のかなりの支出が算出できた。

 

③ 家計簿にのっていないが通帳に記入されているであろう、光熱費、通信費、税金、固定資産税、健康保険料、携帯代、家のメンテナンス費用なども全て調べた。

 

・1年間の嫌がらせに耐えた。

・父の家計簿が見つかった。

・母と弟への贈与の金額合計を算出できた。

・600万の返済履歴記述があった。

・ついに私の自宅にまで名奈が襲撃に来た。

 

もう時は熟した。

 

市役所相談の弁護士さんのヒントから、「親族関係調整調停」を起こすことに決めた。

1ヶ月かけて父の家計簿から調べた内容、「証拠書類」は膨大な枚数になった。

集計表を作るためにの元となる計算書、銀行の明細書コピー、実家をリフォームした契約書、電化製品購入の明細書、他全てを抜け目なく照合した。

 

父の家計簿(10年間の集計)記録から転記してわかったことについて    
西暦 出来事   家計簿 収入 支出 定期解約 母へ 弟へ
2010 12/3 祖母逝去 あり 4,166,900 5,933,532 1,070,596 937,110 336,400
2011 7/22 祖母の家、父相続 4ヶ月 1,240,000 1,606,358   322,000 160,000
2012 3/30 祖母の家、売却 家計簿なし        
  11/6 父から600万借金          
2013 祖母の家売却・確定申告   半年分 2,896,020 3,890,798 1,990,020 803,000 380,000
2014  健康保険料年間¥508,479   あり 4,138,800 5,337,272 3,321,907 1,127,500 667,000
2015     あり 3,551,990 4,668,865 1,470,000 1,042,468 841,500
2016 8/20 借金完済 あり 3,394,332 3,568,746 680,000 946,264 227,000
2017     あり 3,608,126 3,752,323 1,920,772 1,115,788 353,000
2018  弟、母へイジメ 5ヶ月 1,254,500 1,438,395 260,000 197,280 68,000
2019  弟による父へのイジメ 家計簿なし        
  8/17 父一人で四国旅 家計簿なし        
2020     家計簿なし        
2021 11/16 早奈発狂事件 家計簿なし        
2022 2/3 両親コロナ入院 家計簿なし        
  5月頃 名奈、姉が父の2,600万を盗んだ犯人だと疑い出す
2023 7/21 現在まで嫌がらせが続く 家計簿なし        
        24,250,668 30,196,289 10,713,295 6,491,410 3,032,900

 

父の家計簿を転記したが、収入部分において、基準(自分の財布の中?銀行からおろした額)が収支が合わないな点が多い
家計簿合計の一覧を見ると、収入より支出が突出してしまっている(支出部はきちんと書かれているが収入部は記入漏れが多いのでは)
関西スーパー、コーヨー等の買物はプリペイドカードをチャージして利用しているので、チャージ分は計上せず( )の部分を計上
2010年頃から収入と支出の調整が利かず、車購入で自分の定期を解約している。
  父の母親の定期預金、貯金も全て父が自分の口座に振り替えている形跡がある。入院費、祖母の葬式費用、お寺に支払う費用などは祖母の貯金から捻出している。
2013年の半年分の記録で既に200万円近く、2014年で330万定期預金を解約しており、毎年定期預金を取り崩している。
2016年頃になると、細かい金額の単位でどんどんエコ通帳解約が目立っているが2018年から家計簿がない。
当てにはならないかもしれないが、父の証言によると、自分の母親が亡くなった前後、その後何年かは金の回りが良かった。
  けっこうな金額を使ったような話をしている。(家計簿がない重要な時期)
光熱費は一般的な一軒家の光熱費として300,000/年(月25,000円)として試算している。太陽光で売った電気代など差引が必要だが不明。
申立人の600万の借金についても、定期預金に戻す事なく徐々に普通預金に振替し生活費に消えてしまっている。

 

父の実家の動き
1959年 昭和34年9月8日 父の実家 所有者 祖父
1994年 平成6年8月20日 祖父逝去
2010年 平成22年12月16日 祖母逝去
2011年 平成23年7月22日 平成6年8月20日に遡り 父が相続
2012年 平成24年3月24日 Sハウスとリフォーム契約 750万円
2012年 平成24年3月30日 祖母の家を売却

 

【収入の部】 72,000,000円

祖母の実家の売却収入 30,000,000 *2010年~2019年の10年間で計算してみる。
10年間の年金収入 42,000,000 420万円/年×10年間・通帳履歴が必要
合計 72,000,000 ・・・A

 

【支出の部】 78,112,508円

    記録あり 7,500,000 ① 家のリフォーム・トイレ修繕・他による修繕費用(Sハウス他調べ) 確定
支出6年分 支出 30,196,289 家計簿による約6年間の集計 確定
    自動引落 684,000 ネット通信費(一軒家の一般的な通信費eo光)5,700/月×12ヶ月×10年分 確定
    概算 252,000 携帯通信費 両親携帯代  約7,000/月×12ヶ月×3年分(父が払う事になってから) 確定
    聞き取り 2,000,000 父の妹さんの証言(財産分与は辞退したが貰った額・本人申告) 確定
      800,000 孫全員に10万円ずつもらう 確定
      1,142,900 ② 固定資産税(記入漏れ分)年12万×約10年分(ほぼ記入漏れ)市役所調べ 確定
      4,623,719 ③ 両親分の健康保険料(3,724,219)・介護保険料(899,500)市役所調べ 確定
      2,559,600 ④ 市府民税(平成21年10月以降年金から天引き)市役所調べ 確定
    自動引落 1,020,000 VITA フィットネス代金 10万/年×8.5年分(2018年6月閉館) 確定
      960,000 祖母の家を3000万円で売却した時の仲介手数料(税務署調べ) 確定
      5,580,000 祖母の家を3000万円で売却した時の譲渡所得税と住民税(税務署調べ) 確定
      3,000,000 光熱費(水道・ガス・電気)及び電話代概算(約300,000/年*10) 確定
      391,000 ⑤ 車のリース費用(2019年8月以降+頭金30万円) 確定
      603,000 ⑥ 10年間購入電化製品冷蔵庫、洗濯機、他(TV除く)ユーピット調査 確定
      庭木の植え替え(父の証言より)プリンター、スキャナー、外付けHDD等 確定
    ?
 祖母の家を父に名義を変えた時、父一人が相続した場合の相続税
仮定
    自動引落  自動引落しで銀行から直接引き落とされているもの 仮定
      16,800,000 仮に年収420万円を全部支出した場合残り
4年間分
4,200,000 ¥16,800,000 仮定
      78,112,508              
        祖母の家を売却した収入と10年間の年金収入の合計金額より
        A-B=   6,112,508 円 収入より支出が突出している。

 

仮定試算(お金の行方)2010年から2019年の間で試算
4年間分は、仮に年収420万円を全部支出した場合を試算しているので、金額の前後はするはず。だが、毎年の傾向として年収は使い果たしている。
平成23年祖母の家を相続、平成24年3月祖母を売却、売却時に仲介手数料、翌年に所得税と市府民税がかかっているはず。
2010年祖母が逝去する手前の時期に父は祖母の貯金を自分の通帳に振替し使っている記録がある。
  (2010年の家計簿記録を参照)・・・転記したものあり
家計簿は全部揃わないが記録を集計してみると、ざっくりだが収入の部の記録漏れにより、収入よりも支出が吐出している。
2011年8ヶ月分、2012年、2013年半年分、2018年7月以降の家計簿記録がない。せめて2012年の家計簿があれば疑いがはれるはず。
  (10年単位で集計したとしたら、6年3ヶ月分の集計となる)
6年3ヶ月分でざっくりだが、およそ1,000万円近い定期預金を解約している。
記載のない(家計簿がない時期)3年9ヶ月分も定期預金を解約している可能性はかなり大きい。
申立人の600万の借金については、証拠として申立人通帳記録、iphoneのメッセージのやりとりを相手方へは提出済
支出の内容の中に母への手渡し(クレジットカード補填を含み)640万ほど、息子への手渡し、振込、約300万が目に付く。
  家計簿のない(特に2011年、2012年、2013年)については、かなり高額支出、息子へのお金の援助があった可能性大なので、もし家計簿が出てきたら100万単位で上乗せされるはず。
父が給料日前後の20日~月末に息子のゆうちょ銀行に10万~50万単位で多額の振り込みをしていた記憶が申立人にある。
父は弟のゆうちょ銀行に同カードから(2枚持てるため)振込していたので、弟の通帳記録を調べると全容がわかるはず。
逆に、長男へのお金の渡しは毎回あったが、次女、三女へお金の貸し借りが一切なかったことが家計簿記録からわかる。
家の相続税については、基礎控除額に当てはめるとかからなかった可能性が大きい。
 

① S社で太陽光発電、二重窓などリフォーム代金約750万円の契約書入手。

② 市役所、税務署で家計簿に載っていない支出を調べて計上。

③ 家計簿の6年3ヶ月分の支出合計金額は、3,000万円を超える。

④ 家計簿に記録があるだけで、定期預金の解約1,000万を超える。

⑤ 父の妹さんに200万円譲渡。(会って聞き取り)

⑥ 家計簿に記載されていない分の10年分の固定資産税約110万

⑦ 健康保険料(年金から天引きされるまでの合計)7年分462万円

⑧ 市府民税(年金から天引きされるまでの合計)7年分255万

⑨ 家計簿に掲載されていない、通信費、光熱費、合計約400万

⑩ 通帳から自動引落しだったフィットネス会員費100万。8.5年分。

⑪ 弟へ約300万、母へ約640万、7年分の譲渡合計940万

 

ちなみに、家計簿の6年3ヶ月分の支出合計金額は、3,000万円ということは、家計簿だけで単純に計算して、1ヶ月40万、1年で480万円の支出。

それだけで、年収420万を超えてしまっている。

それに家計簿に掲載していない明細やリフォーム、固定資産税、通信費、光熱費など細かい金額を上乗せしていくと、簡単に年収を食い潰してしまっている。

 

★ 父の家計簿の最終ページに借金の返済額と残額がきちんと記載されていた。

 

申立人返済履歴
2013 H25 3,050,000
2014 H26 1,300,000
2015 H27 450,000
2016 H28 1,200,000
合計 6,000,000

 

★ 下記に家計簿にハッキリと私の名前と返済記録が載っている。

  2013年7月以前の家計簿がないが、以降の家計簿に返済が記載されている。

★ 私のWEB通帳の合計600万返済の証拠(7ページ分は掲載省略)

 


2023年4月8日(土)のことだった。

土曜日に行くと玄関のドアが割れていた。

開け閉めするとさらに割れる危険があった。

母によると名奈が玄関に置いてあった庭用の机と椅子を動かした際に、置物のゾウが当たりドアガラスを割ったらしかった。

実家に行ってすぐ気づいたのだが、玄関にあった庭用の机と椅子が消えていた。

その時に机と椅子を動かしたのは、名奈だと思った。

まず、物をあちこちに動かすのは名奈が一番やりそうな行動。

しかも、そそっかしい名奈がガラスを割ったのはありえる。

 

ずっと割れたままだったが、夏休み最初の土曜日、実家のドアはガラス交換ではなく、どう見ても安っぽい全面木製のドアに交換されていた。

ガラスじゃなくなった分玄関はめちゃくちゃ陰気くさく薄暗くなってしまった。

 

当然のように実家の家の鍵は私にはもらえなかった。

 

面白いことに父も母も家の鍵を持っていない。

要は、妹たちの思う壺だった。

母に渡せば私が合鍵を作るからだろう。

私が実家に行っても鍵がないので両親と出かけられない。

だが、妹たちは鍵で自由に実家にいつでも入って来れる。

 

母に鍵のことを聞くと、あなたにも他の人も誰にも渡さないことにしたからと言われた。

非情におかしな話しが、家の主である両親ですら持っていない家って何だろうか。

だが、名奈と早奈はしっかり持っているという如何にも理不尽な理屈だった。

言い合ったところで、アホらしいのでそれ以上は言い返さなかった。

 

以前は、実家に来たときは朝必ず、ピンポーンして「入るよ」という意志を示してから、母にもらった実家の鍵で入っていた。

出かける時は私が鍵を閉めて旅行などに出かけていたが、それも出来なくなった。

ここまでくると嫌がらせもたいがいだな。

たいてい朝行くと、両親は奥の座敷で寝ている。

耳の遠い母はピンポ-ンを押しても全く聞こえない。

いつも、何度も呼び鈴を押し続けて、父の

「はーい!待ってくださーい!おい、早く、開けてあげなさい。」

という声が聞こえてしばらく待ってから、やっとモタモタと母が開けに来てくれる。

朝、玄関が開くまで毎回、数十分は待つことになった。

 

ある日、孫ちゃんと一緒に来た時、庭から回り座敷の窓が開いてたらそこから入って玄関を開けるよう頼んだ。

予想通り窓が開いていたようなので開けてくれた。

後から孫ちゃんに、母が父に言った言葉を聞いて愕然とした。

 

「あの子は何しに来たん?やややこしい人は来て欲しくないのよ。聞こえないふりしてほっときましょ。」

 

と母が父に言っていたらしい。

結果、母は父に怒られていたらしい。

 

その頃、母は完全に「名奈の皮を着た人」のような台詞をよく言うようになっていた。

なんとなくだが、

「あなたはもう、ここに来ないでちょうだい。」

「ちょっと、私、これから考えるわ。」

「これからは、私の考えがありますから。」

という台詞が多くなり、私をなんとなくだが毛嫌いしている感じもした。

あれがない、これがなくなった、(あらかさまに)あなた知らない?と聞かれた。

誰かが勝手に家に入っていると言いだし、隙間をあけたり、石を並べたり、変な細工をしていた。

一緒に出かけようと誘うと、意地でも行かなかった。

ドアが変えられてからの外出は、誰かが家にいる必要があったので、父と孫ちゃん1人と私が出かけて、残りの母チームは留守番のような感じか、出かけない日が多くなった。

 

そのせいなのかはわからないが、母の体力がどんどん低下していった。階段を上がる足元のふらつきが顕著に現れ、家の中もヨボヨボ歩くようになり、歩く速度がどんどん落ちてきていた。

なるべく気分転換を兼ねて、少しでも父だけでなく母も一緒に外に出るようにしたかったが、それも全く叶わなくなった。

 

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第93話 イケメンPTさん

暗い話題ばかりだったが、唯一の明るい話題が1つだけあった。

しかも、名奈が自宅に襲撃に来てからは、ほぼ快適な毎日が過ごせた。

突然の土日の襲撃も来ないし、相変わらず食卓の椅子は2つだけ、食器も限られただけしかないなど嫌がらせは少しはあったが気になるほどでもなかった。

息子の存在がとてつもなく大きくて心から有り難く、そして頼もしく感じた。

 

毎週土曜日に来てくれるPTさんは家族みんなの人気者だった。

実は・・・女性陣全員の目が♡だった。

娘と同じ年で若いし、かなりのイケメン、父との相性もバッチリで、会話は上手くかみあっていて和気あいあいとしていい感じだった。

しかも、父はしんどいわ、心臓がバクバクする、今日は歩くのやめとく、などのワガママも出てきてた。

そんな時には、うまく父の肩を揉んで、家の中を一周回るとか

「今のしんどさを100で言うとどれくらいですか?」

という質問に、父は正直に答えてしまい。

 

「60くらいかなぁ」

と答えると、

「じゃあいけますね。もう少し歩きましょうか。」

と上手いこと気持ちをのせてくる。

会話はまるでおじいちゃんと孫そのものだった。

銅像公園までのおよそ往復1kmほどの距離だが、父には大変な距離だった。

実家から階段を一歩一歩降りて、その往復の散歩も上手に誘導して行き、父は歩いて行って、帰ってくることも出来た。

要介護5で寝たきりになってしまっていた時期を考えると、凄い回復力だと思う。

ここまで回復したのは、ケアマネージャーさん、デイケアサービス、そしてPTさん,OTさんの協力があってこそだと思う。

 

あ、ご本人の許可もなく(こっそり)掲載してしまいました♡

ま、マスクしてるしいっか。実はマスク取ると更にイケメン♡

い、ケメン勝負なら、JIMINよりイケメンかもしれない♡

 

内緒の話なのだが・・・。

PTさんが来られる時間は、土曜日の17時00分~17時40分だった。

最初はリハビリが終わると必ず母が、

「お茶でもどうぞ」

と言うのがきっかけだった。

お茶とお茶菓子をお出しして話しをしていると話題に花が咲いた。

双子ちゃんは、BTSのJIMIN推しだったので、JIMIN似の優しくてイケメンのPTさんに週末会えるのを楽しみにしており、めちゃくちゃ懐いてしまった。

更にお帰りの際には(一番最初は母が始めた)必ずお土産用にお菓子の詰め合わせパックを作って、渡した。

毎回、それを誰が渡すのかもめるのでついに順番制になり、お決まりになっていた。

両親と出かけると必ず、PTさんへのお土産を考えるのも楽しみの1つだった。

玄関から入ると靴を必ず向きを変えて揃え、リハビリの前には手洗い、終わると手洗い、myハンカチ持参。礼儀も挨拶も身なりも全てキチンとされている方なので、好感度120%だった。

バレンタインデーにはもちろん各自がチョコを用意して渡した。(笑)

ホワイトデーや何か機会があると逆に、

「いつもありがとうございます。」

とわざわざ百貨店で買ったお菓子などを下さったりで持ちつ持たれつで楽しすぎるリハビリタイムだった。

 

私は大抵リハビリの間に晩ご飯の用意をしていた。

何の気なしに、調子にのった私は、

「一緒に晩ご飯どうですか?一応、リハビリは終わったということで。」

と聞いてしまった。

まさかの!

「では、ご一緒に。」

という流れになってしまった。(キャー!笑)

 

2023年のいつの頃からは不明なのだが、(名奈達が休日は襲撃に来ないことになってから2月頃かな?思う。)

いつも晩ご飯は、PTさんと一緒に楽しい晩ご飯となった。

PTさんのリクエストでトンカツ、チキンカツ、ハンバーグ、など作るのもめちゃ楽しかったし、会話も盛り上がり、なんと!おかわりもしてくださった。

父や母と会話しながらの食事はとても和やかで楽しかった。

 

実家での食事内容を記録した Instagramの記録の一部より

 

イケメンPTさんとのやり取りは、これまためちゃくちゃ不思議な話なのだが、私がこれから書く予定の「ある事件」の前の週に、急に他のPTさんと交代となる知らせがセンターの方からあった。

ちゃんと今までの沢山のお礼も言えず、イケメンPTさんと非情に名残惜しいサヨナラだった。

 

<2022年から2023年の両親と一緒に行ったお出かけ記録>

Facebookより

2022年

 5月22日(日)淡路島 花さじき

         いずも庵 ランチ

 6月 4日(土)父の誕生日会 2日前倒し

         金のしゃぶしゃぶ

 6月12日(日)滋賀県 クラブハリエ バームクーヘン

         八幡山ロープウェイ

         瑞龍寺(村雲御所)

 6月18日(土)みやま かやぶきの里 探索

         ひよしダム ランチ

 6月26日(日)福知山 観音寺(あじさい寺

         福知山 お墓参り

         養泉寺(はぎ寺)

         あじくら ランチ

 7月 2日(土)帝釈寺 写経 

 7月 3日(日)丹波黒豆の里 ランチ

 7月16日(土)ハチ高原

         グリーンホテルやまなみ(泊)

 7月17日(日)生駒銀山 散策

 7月30日(土)淡路島

         いずも庵 ランチ

 7月31日(日)余部 魚やはらとく ランチ

         鳥取お墓参り

 8月 7日(日)芦屋 海洋体育館

 8月28日(日)神鍋高原 スイカ祭り

         神鍋高原道の駅 食べ放題 ランチ

 9月 3日(土)尼崎市 谷口氷室 かき氷

 9月 4日(日)箕面山荘 風の杜 ランチ

 9月11日(日)京都 出町柳 出町ふたば 豆大福

         京都市動物園

         京都ひなの バイキング

 9月17日(土)ひふみキッチン ランチ

         箕面キューズモール 無印良品 お買い物

 9月18日(日)箕面の滝 探索

         カフェゆずりは ランチ

 9月19日(月)祝日 うわじ丸 お寿司ランチ

         尼崎市 谷口氷室 かき氷

         天ぷらの山でディナー

 9月23日(金)やっぱりステーキランチ

         和菓子処 喜楽 どら焼き

         亀行堂 みたらし団子

 9月24日(土)愛菜ランド ランチバイキング

 9月25日(日)兵庫県美方郡 魚や はらとく ランチ

10月 1日(土)エキスポCITY MANGO TREE ランチ

10月 2日(日)宝塚あいあいパーク モーニング

         コストコにお買い物

10月 9日(日)石清水八幡宮参拝

         朝日屋 ランチ

10月10日(月)祝日 鳥取お墓参り

         賀露港・市場食堂 ランチ

10月15日(土)伊勢志摩

         ダイワロイヤルホテル伊勢志摩(泊)

10月16日(日)伊勢志摩~

         英虞湾クルーズ

         横山展望台

         おかげ横丁

         おかげ横丁 ふくすけ ランチ

         伊勢志摩へいすず 夕食 唐揚げ定食

10月23日(日)とろろ飯専門店 大和 三輪神社参拝

10月30日(日)亀岡夢コスモス園

11月 5日(日 福井県小浜市ランチ 食彩料理ごえん

11月12日(日)淡路島 タコステ ネコの島

11月20日(日)亀岡駅でランチ トロッコで京都嵯峨へ

11月23日(水)ランチ しゃぶしゃぶ

11月27日(日)淡路島タコステ ネコの島

12月 3日(土)和歌山 たまみゅーじあむ電車の旅

12月11日(日)コストコへお買い物

12月17日(土)三田明太子パーク・三田パテシエエスコヤマ

12月18日(日)大日イオン ピザ食べ放題

 

2023年

ほぼコロナも明けたということで、父と母とあちこちに出かけた記録

(ただの記録です。)

 1月29日(日)御座候ミュージアム

 2月 5日(日)石清水八幡宮参拝

 2月12日(日)箕面駅から徒歩で足湯まで

 2月19日(日)茨木イオンでランチ

 2月23日(木)祝日 京都・出町柳散策

 2月25日(土)まちなかリビング図書館・ランチ

 3月 5日(日)パン工房シャルドンでモーニング

 3月12日(日)パン工房シャルドンでモーニング

         尼崎マルシェ

 3月19日(日)兵庫県立播磨中央公園 ハリチュー

 3月21日(火)鳥取へお墓参り

         賀露港・市場食堂 ランチ

 3月25日(土)銅像公園へ散歩・ラムーにお買い物

 4月 1日(土)エキスポCity公園お花見

 4月 2日(日)会社のイベント・いちご狩り

 4月 9日(日)ハリチュー再び

 4月23日(日)イオンでランチ・コーヨー散歩

 4月29日(土)イケヤで朝食&お買い物

 5月 3日(水)岡山県・おおがや芝桜公園

         岡山県吹屋ふるさと村

         津田鉄道博物館

         吹屋ふるさとむら旧家 旧仲谷邸 (泊)

 5月 4日(水)吹屋小学校探索

         吹屋ふるさとむら旧家 旧仲谷邸 (泊)

 5月 4日(木)蒜山高原

         蒜山高原休暇村(泊)

 5月 5日(金)香川県から徳島県へ 淡島海岸

         Cottage Coliberty (泊)

 5月 6日(土)帰路へ

 5月21日(日)陸上自衛隊 千僧駐屯地見学

 5月27日(土)孫ちゃん運動会

 6月18日(日)丹波黒豆の里

 7月 2日(日)泉州愛菜ランド」でランチ

 7月16日(日)能勢 道の駅

 7月22日(土)海の日 泉州愛菜ランド」でランチ

 7月23日(日)父方お墓参り

 8月 6日(日)伊丹空港で飛行機を見る・コストコでお買い物

 8月12日(土)かつ&かつ でランチ

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第92話 見つけた父の家計簿

1月6日、自宅への名奈の襲撃事件で、私はストレス性急性胃炎で救急車で運ばれてしまった。

胃がキリキリと痛む症状が急激に現れ、胃の痛みとももに吐いても吐いても吐き気がした。もう胃の中が空っぽなので、黄色い胃液しか出なかったが、何度も出てきて吐き気と震えが止まらない。ついに真っ赤な血が出てきた。

しまいにめまいがしてふらついた。

その時に何がどうなっているのかは知る由もなかった。

自分自身が倒れてしまったからだ。

ストレスにも逆境にも強いとたかをくくっていたが、実はメンタル弱っ!

ストレスはジワジワと胃にきていた。

後で聞くと、自宅から200mほど先の場所に住んでいる息子が騒ぎを聞きつけ、警察官同席のもとで名奈と話をつけてくれた。

警察は娘が家にいたのでが呼んでくれた。

救急車は主人が呼んでくれた。

 

名奈はあれだけ私には、一言も返せないほどの機関銃攻撃で、強気で言葉をたたみかけ、ドナリチラシ、横暴だったのに、体格のいい息子に首根っこをグイッとつかまれ、シュンと小さくなってしまい、

「はい。わかりました。すみませんでした。」

と息子には敬語、絶対服従で、素直に従うまるで借りてきた猫状態だったらしい。

正直、ちょっとそれを聞いて少し気が晴れた。

 

実は息子はかなり気が短く、血の気が多く、静かに喋るが結構な威圧感がある。高校は3年間カヌースプリントの選手、大学もカヌーポロの選手だったので筋肉モリモリ、体格がいい。

怒らせたら何されるかわからないようなちょっとした怖さもかね揃えている。

しかも、男の子を育てた事のない名奈にとっては、得体の知れない脅威だったのだろう。

 

早奈や名奈の嫌がらせのことは、色々と息子に話していたので、息子は事情をよく知っていた。

しかも、立ち会ってくれた警察官がこれまた実家に何度も来ていた人だった。警察官がどちらかの肩を持つ事はありえないのだが、完全に名奈には有無を言わさず制する体制と言動だったらしい。

 

警察官自身が内容を録音するように言ってくれたので、息子が録音した。

 

警察官の指示の元で、

① 土日祝日に母が当番の日に実家に孫や娘が遊びに行く事に一切何も言わないこと。

② 土日祝日は絶対に実家に攻撃しに現れないこと。接近も禁止。

③ 母に対して今後一切嫌がらせをしないこと。

(母は、息子にとっての母なので私のこと)

という約束を強制的に交わした。

そんなことで、2023年最初に行った土曜日はるんるん快適な環境だった。

 

弟がおそらくお正月に実家に帰って来たのだと思う。それに合わせて、色々なお札や看板は撤去され、ゴミ屋敷だった2階も片付けられていた。

その翌月、何かに誘われたようにふらりと片付けられた父の部屋に入った。

普段は何も用事がないので入る必要のない部屋だった。

相変わらず父の机まではたどり着かないように本棚と物でバリケードされていた。

 

ふと白いテーブルクロスのような覆いをめくってみた。

何故めくってみたのかわからない。

すると・・・。

一番左側の手前にまとめて10冊以上の父の家計簿シリーズが置いてあった。

えっ???

通帳記入の履歴は手に入らないが、父の家計簿の中に2,600万円が消えてしまったヒントが何かあるかもしれない!

明るい兆しが見えた。

また、その家計簿はどこかに移動される可能姓があるね

急いで家計簿を持ってコンビニに走った。

丁度その日は、孫達も遊びに来ていたので、助っ人に双子ちゃんを連れて行った。

1人がフタを開け、私がページをめくりコピー機にセット、その子がまたフタを閉める。私がオッケーと言うと、もう1人がコビーのスタートボタンを押す。

そのルーチンの繰り返しを600回ほど繰り返した。

やはり、名奈がそいつが(私の事?)盗んだと言っていた肝心の2012年、2013年前半付近が抜けていてなかったが、何かがわかるはずだと思った。

名奈に疑われはじめた当初に、父に聞いたら、

 

「あのお金は使ってしまってないよ。あと30万くらいしか残っていない。」

 

と言っていたので、家計簿を辿ればその答えが必ず見つかると思った。

おそらく、父の言っていた言葉があっていたのなら見つかるはず。

この時に答えられた父の言葉は、その時期限りだった。

その後何ヶ月かして同じ質問をしたら、

「わからん。覚えてない。」

しか答えられず、何のことやら?みたいな感じだったので、ほんの数ヶ月で、認知機能の低下が進んだのがわかる。

 

家計簿を手に入れたので、その家計簿10年分を全て月ごと、年ごと、さらに項目ごとに集計してみた。

最初は1ページごとに電卓をたたいて合計を出し書き留めていたが、1冊の半分くらいでこれでは全くらちがあかない事に気づいた。

しかも、中身を見ていくと、弟へ、母へ、と万円単位で渡しているお金の回数がかなりあったので、そのお金を集計する列を作った。

そして、集計方法を変更した。

まず、横の行に項目、縦列に分類が5種類、最終列は合計。

縦の分類は、銀行、銀行解約、弟へ、母へ、合計

1ページずつエクセルに転記していった。

電卓はブラインドタッチできるので、Excelに打つだけいい。

合計は、一瞬でExcelがやってくれる。

昼休みと自宅に帰ってからの時間を全て家計簿の解析に費やした。

1ケ月ほどかけて完成した。

2019年くらいからの家計簿がなかった。

それ以降は家計簿がなくなったのでなく、書いてないのだろう。

おそらく父はその時期あたりから、家計簿を記帳しなくなってしまったのだと思う。

 

家計簿を集計したことで、色々な事がこの記録からわかった。

 

① 父が、私に貸したお金が600万だとハッキリわかるようなメモを二ヶ所に書いていた。

 

② 父は、家計簿がない期間を引いておよそ7年間の合計で弟に300万、母には700万渡していた。

 

③ チリも積もれば山となる。

家計簿が存在している7冊の合計をするとかなりの金額を浪費してしまっていることがわかった。

しかも、何度かに分けてゆうちょ、メインバンクの定期預金を普通預金に取り崩していた。

 

④ 名奈がグループLINEに、

「お金を返した形跡はが家計簿にありません。そいつはあぶく銭で贅沢に暮らしています。」

と書いていたが、本当に父の家計簿の中身をくまなく見たのだろうか。

実際には家計簿に、私が600万円を何回かに分けて返した記録もきちんと残っていたのだ。

◯月◯日(私の名前)より100万円のように。

 

⑤ 祖母の亡くなる直前くらいから、父は祖母の通帳のお金を自分の通帳に移して使ってしまっていた。主に入院費やお葬式費用などにも使っていたが、実際には祖母の貯金通帳を自分に振替て使っていたのが記録にきっちり残っていた。

 

⑥祖母の家を売って得たお金と父の10年間の年金収入合計額を足し、そこから7年分の家計簿からわかる支出合計、その他調べた支出を引くと支出がオーバ気味でわずかしか残らなかった。

 

さらに、2012年、2013年の家計簿がもしも見つかれば、父の

「30万くらいしか残ってないよ。」

と言う発言は正しかったことが、証明される。

これは、父の家計簿の記録という動かぬ証拠から得た間違いのない証明であった。

 

完全に私の身の潔白は晴れた。

後はどうやってその潔白を証言するかだ。

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第91話 4度目の警察沙汰

本当に不思議すぎるのだが、一連の出来事はなるようにしてなったような気がしてならない。

わざとやったわけでもない。

本当に起きたのだからしょうがない。

1月4日に逃避行から帰って来て2023年の幕開けだった。2023年の介護担当初日は、7日(土)8日(日)9日(祝)だった。

なのだが、5日孫長男、6日孫次女、7日孫長女、と次から次へインフルエンザにかかってしまった。

一緒にお正月を過ごしていたので、どう考えても私もインフルエンザがうつっている可能姓はかなり大きかった。

主治医のS医院に診て貰い、5日に長男、6日に次女、7日に長女と立て続けにインフルエンザ陽性になったので、先生も双子の次女、長女の時には、

「あれ?昨日来たよね。どうしました?」

状態だったが、昨日は双子の次女で今日は長女だという笑い話になった。

結局3人とも高熱てダウンだった。

S先生には、土日祝日の両親の介護について相談したが、やはりインフルエンザが次々にうつっている可能性は大きいので、週末は行かない方がいいだろうとのことだった。

6日の段階で孫2人がインフルエンザだったので、娘にS医院の帰りに、実家と名奈の家のポストに、事情を書いたもの、インフルエンザの陽性だったという薬の処方箋のコピーを付けてポストに入れて置いてほしいと頼んだ。

手紙については間違いがないように私が文章を作って、S先生に相談の上、大事をとって行けなくなりましたという内容を娘にメールし、その文章をコンビニで印刷してもらった。

娘が実家と名奈の家に手紙を渡しに行くと、ちょうど名奈の旦那さんに出会ったらしく直接渡したようだった。

その後、私も仕事から帰宅して、娘家族と一緒に食事しようとしていた。

その時だった。

「ドンドンドンドン!!!」

と強くドアを叩く音がした。

息子かな?

と思って開けると、

鬼みたいに目をつり上げた名奈が大声で怒鳴ってきた。

何かを持って手を突き出してきた!

あっ!刺される!

と思った。

思いっきりドアをバタンと閉めた。

するとまた、ドンドンとドアを叩いて金切り声がした。

娘が即、110番した。

胃がキリキリした。

まだ食事していなかったので昼から何も食べていないが、トイレで吐いた。

そこからはあまり覚えていない。

とにかく主人を一目でも見たら、名奈が逆上して何をされるかわからないので、それこそ血を見る事になりそうなので絶対に外にだけは出ないでと頼んだ。

吐いて青くなっている私を見て

主人が慌てて119番した。

私は救急車に運ばれて行った。

娘は勇敢にも名奈のいるところに行ったようだが、情けないことに私は恐ろしくて胃がキリキリして痛すぎて頭の中が真っ白。

何もわからなくなった。

後で娘から聞いた話をまとめると、近所に住んでいる息子が騒ぎを聞きつけて来てくれた。

息子が名奈とすべて話しをつけてくれたらしい。

その一部始終を警察官の許可のもと録音も録っていた。

 

名奈の行動をたどると、

名奈が夫から預かった手紙を持って、閉まりかけのS医院に怒鳴り込みに行った。

そこで、本当に孫達がインフルエンザなのか!

介護に行かない方がいいとS先生が言ったのか!

インフルエンザはうつる可能姓はあるのか!

自分の言葉に責任とれ!

とかなりドナリチラシ興奮して詰め寄ったらしい。

 

S医院に行ったその足で、私の自宅に乗り込んで来た。

しかも、実家と違って私の家の周りには車の駐車スペースはない。

他人の家の敷地に勝手に車を停めて、家の人が出られなくて大迷惑だったらしい。

名奈の大声で近所の人がたくさん見物にきていたらしい。

自分の家じゃないから何でもしてのだろうか?

自分の正体がわからない場所だとしても、ドナリチラシて恥ずかしくないのだろうか。

ちなみに後々わかったが、人の家や実家では騒ぎを起こし、近所迷惑も省みず大声でドナリチラスが、自分の家のエリアでは絶対にしない。

その後、自転車の乗って名奈の夫が来たらしく、

「すみません。」

と警察や息子に謝っていたらしい。

別に、そこまで怒り心頭しなくても、普通に話せばすむことだろう。

私もわざとやったわけでもない。

冷静に話し合いすれば、

「もしも、私から両親へインフルエンザがうつってでも介護しろ!」

という、妹たちの指示があれば実家に行ってもよかった。

別に実家に行くのが嫌で行かなかったわけでもない。

話し合いで、妹たちが都合の悪い平日と交代する方法もあったはずだ。

ただ、冷静に話し合いなんてことは、一切出来ない状態だった。

 

何も難しいことでもない。

自宅に怒鳴り込んでくるほど、おおごとだったのだろうか。

 

年末年始の事もそうだが、そういった「2,600万円事件とは全く別の話」としてとらえて、介護の話し、担当日の交代などの話し合いの機会を少しでもくれていれば、そこまで大騒ぎして怒ることでもなかったと思う。

 

名奈は一体何に対して怒りをぶちまけているのだろう。

何に対して、そこまで怒りがこみ上げてしまい、理性を失ってまでドナリチラスのだろう。

 

あ、母が言ってた言葉を思い出した。

名奈ちゃんがイライラしているのは、あなたのせいじゃない。

何かはわからないが、子どもの事とか名奈ちゃんの家の事情できっとイライラするような原因があるからだと。

 

果たして母の予想は当たっていたのだろうか?

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第90話 コロナ禍の逃避行

年末も近くなり年末年始の予定が知りたかった。夏休みくらいから毎月何度か機会を見ては、年末年始のカレンダーに、妹たちの予定を先に記入してほしいと手紙を書いておいたが一向に返事をもらえなかった。

本来なら土日祝日は私の担当日なので、カレンダー通りとなるだろう。

 

だが、毎年年末は、実家の台所を早奈と名奈が占領して、2日くらいかけてお節料理を作るのが恒例になっていた。

自分の家の台所が汚れゴミが出るのが嫌だから?

一緒に作れば手間も材料も共有できるから?

色々な理由からだろうけど私から言わせると、そもそもなんで自分の家でやらないのか?

とは思っていた。

だが、恒例行事にして楽しみにしているようだし、特に私には関係ないことなので口を挟むこともなかった。

だが案の定、前年年末に、実家に帰って来た弟がめちゃくちゃキレて大騒ぎになったらしい。

「もう帰ってくれ!おせち料理を実家で作るな!こんな事は自分の家でやれ!」

と思い切り怒鳴られ、慌てて食材を全部2階に持って上がり、2階でお節料理を詰めたという、とんでもない笑い話は名奈から以前聞いていた。

その年のお正月は早奈からサイバー攻撃を受けた年なので、私たちは実家に寄り付かなかった。

 

年末から早奈たちがおせちを作っている所へわざわざ出現したくなかった。

年始は一人暮らししている名奈の長女、早奈の長女も帰ってきたら必ず実家に来るだろう。

毎年1月2日は親戚が全員集合していた。

(早奈のサイバー攻撃事件があってからは私達は行ってないが。)

その予定も知りたかった。

だからといって、実家で両親とゆっくり楽しんでいるところにまた、連絡もなく急に、ドカドカと来られて帰るのも、もう勘弁してほしかった。

 

↓ よほど腹が立っていたのがうかがえる。

くしゃくしゃにしてねじって押し入れの奥に隠してあった手紙を見つけたが、結局この返事はもらえなかった。(色々と書いているのは名奈の字)

 

クリスマスのお祝いと娘のお誕生日が近いのをかねて、イタリアン料理のカプリチョーザで家族みんなでお祝いした。

 

その翌々日、息子の彼女がコロナに感染した。

 

息子は結局調べてもらわなかったが、明らかにコロナ感染者だった。

私たちは息子と接触したので濃厚接触者となった。

その頃の濃厚接触の定義が変わって来たものの、わざわざ濃厚接触者が高齢の両親の所に行くのは絶対NGだろう。

 

実家へは両親に食事だけ届けるようにした。

 

濃厚接触者になった経緯の内容、年末年始がちょうど特に高齢者との接触禁止時期に該当するだろうという事を手紙に書き、一応、息子の彼女さんのコロナ感染が陽性だった証明書のコピーをつけた。

 

実家と名奈の家の2カ所に書いてポストに届け、年末年始は住んでる街からも出る事に決めた。

 

年末年始の担当をどうするのか?と何度も手紙を書き直して問うた。

「姉が憎い」のと「介護の連絡」は別の件として捉えるべきだろう。

きちんとやり取りしてほしかったが、結局はなんの返事もなかった。

カレンダーに名前を記入してさえくれれば素直にそれに従っただろう。

濃厚接触に対しても、手紙を入れてから日にちの余裕があったのだから、もしも両親がコロナ感染してもいいから、実家に行くように指示をくれたら、実家に行っただろう。

年始から名奈のドナリチラシにあうのは絶対に避けたかった。

 

何一つ返事をよこさなかったのだから、こちらとしても当然の処置だった。

濃厚接触者が不要不急の外出をするのはどうかと思いもしたが、とにかく逃げたかった。

 

ただ、次郎物語の主人公のように何一つ計画もない「無計画の計画」の旅だった。

 

とにかく、年末年始はモヤモヤを一切忘れて、

12月29日を皮切りに・・・。

岡山県、日本一の駄菓子屋でお菓子爆買いからの

 

 

南備讃瀬戸大橋を渡りうどん県へ

うどんバカ一代で釜玉うどんを堪能

 

 

ドーミーイン高松中央公園に2泊

ふれあいパークで思い切り遊び、

与島パーキングエリア

讃岐うどんを食べて

岡山県に戻り

ザ・ワンファイブガーデン倉敷に2泊

アフタヌーンティーを堪能

全員分2日分(宿泊に付いてきた)

 

 

岡山美観地区を堪能

また高松に戻り

コンフォートホテル高松駅前に1泊

高松港から女木島へ(鬼ヶ島)

父母ケ浜、別名日本のウニ塩湖でマジックアワーに夕日に映る水辺の写真を撮って

 

 

ザセレクトン倉敷水島1泊

岡山デニムストリート

(最終日)1月4日 日本一の駄菓子屋さん(再び)

 

何もかも忘れて楽しいはずが・・・。

 

12月30日から31日にかけて何度も何度も携帯に電話が入り出した。

実家からだったが、出なかった。

 

後で気づいたのだが、留守電に鬼のような声が何度も入っていた。

「電話に出ろ!濃厚接触だ?そんなわけない!勝手なことするな!許さない!」

という内容だった。

「どこにいますか?電話下さい。」

という母からのとぼけたような声のメッセージもあった。

数えると合計で19回も留守電がが入っていた。

諦めない執念深さに脱帽した。

 

しまいに、知らない番号から電話が入った。

なんと地域包括支援センターからの電話だった。

迷惑な話だ。

お正月なのに、担当者ではなくたまたま事務所にいた方からだった。

妹さんが怒鳴りまくっている、こちらに帰れない事情ですか?と聞かれた。

今の事情を詳しく話した。

濃厚接触した可能姓があること、不要不急の外出は控えるべきだが、妹とのトラブルがあり地元から出たことなど話したら、妹さんに話してみますとのこと。

 

折り返し電話が入った。

相手は納得いかないようだった。

地域包括支援センターの女性の方は、

事情をきっちりとこちらが話したこと、

今、遠地にいるので帰れないこと、

地域包括はこんな事をする機関ではないので謝罪を伝えると、

「こちらで何とかします。」

と答えてくれた。

「実家の近くにいないので帰れないということだけで突っぱねます」

と言ってくれた。

おそらく、名奈のドナリチラシ攻撃と私の冷静な事情の伝え方を聞いて、事の成り行きを把握して、しっかり判断されたようだった。

それからは諦めたのか電話は入らなくなったので、無事旅行を続けられた。

 

ザ・ワンファイブガーデン倉敷の一泊目の夜中、原因不明の胃痛が続き、夜中ずっと吐きに吐いた。結果血が滲んできたが収まらず痛みが何時間も続いて寝られなかった。

牡蠣か何か食べたかのか?いや食べてない。

結局、旅先なのでお医者さんにも行かず、翌朝やっと痛みがやわらいだ。

今から思うとストレスからきた胃痛だったのだと思う。

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第89話 認知症

認知症

自分にとっても、自分の両親にとっても全く縁の無い言葉だと思っていた。

特殊な人が、まれにかかるような「病気」だと思っていた。

実際に、妹たちは「お父さんもお母さんも年齢なりですから!認知症じゃないから!」と完全否定している。

その気持ちは本当によくわかる。

だが明らかに、両親の認知度は目に見えるような速度で低下している。

今の季節は何か?

先ほど食べた食事の内容は?

今日どこへ出かけたのか?

今日は何月何日の何曜日なのか?

それを新聞、カレンダーで確かめたわずか数分後には、同じ答えが出てこない。

事の前後がわからなくなり、直近の記憶が明らかにすっぽり抜けてしまっている。

 

これを間近に見ていながら「年齢なりですから!」と答えるあなたは一体何を見ているのかと何度も問いたくなった。

 

実際に、コロナで入院し退院するときに、両親のCT映像をドクターKが見せてくれた。

頭の写真の中に池の様な黒い楕円形があり、その中に脳の白い画像があった。

説明を受けて脳の萎縮が素人目にもわかった。

両親とも同じような画像だった。

ドクターKも、ご夫婦でどちらかがという事はあるが、どちらも顕著に認知症状が低下する事は珍しいとおっしゃっていた。

 

妹たちは勘違いしているが、

認知症は病気の名前ではない。」

「年齢相応の脳萎縮の定義などもない。」

認知機能が低下してきている状態なのだから、そこからどういう対応をすべきなのかを考える必要がある。

ケアマネージャーさんも、両親の脳の症状については、今どういう状態にあるのかは、気兼ねして言葉には出さなかったが理解されていた。

 

昔から「ぼけ」や「痴呆」と呼ばれてきた、認知症とはそもそもどのようなものなのだろうか。


世界保健機関(WHO)が定める認知症の定義は「慢性あるいは進行性の脳疾患によって生じ、記憶、思考、見当識、理解、計算、学習、言語、判断等多数の高次脳機能の障害からなる症候群」です。つまり認知症は病名ではなく、認識したり、記憶したり、判断したりする能力が障害され、社会生活に支障をきたす“状態”のこと。

 

父は最初「正常圧水頭症」の疑いがあると言われて、父と一緒に大学病院と物忘れ外来にも行った。

大学病院の専門医に診てもらった結果は、他の症状から見て「正常圧水頭症」ではないとの診断だった。

「正常圧水頭症」だったとすれば治療が可能で、脳の改善が明らかに見られるらしい。

 

市立病院の物忘れ外来の先生は面白い先生で、なるほどとなる説得力があると感じた。

神経心理検査は、年齢、日付、場所、言葉の記銘、計算、逆唱、言葉の遅延再生、物品再生、言葉の流暢性、など質問に答える検査があり数十分で検査が可能だ。

次回、予約して検査できるが検査は認知機能の程度の目安を診断するだけで治る訳ではないよ。

画期的な治療薬もそうそうない。

今の医学ではそのくらいのことしか出来ない。

「それでも検査します?」

と言われた。

「え?その質問にどう答えたらいいの?」

となった。

本気でお父さんの事を考えるのなら、認知機能をこれ以上酷くならないようにする方法はあるよ。

「病院に入院させない事」

それだけ。

病院の先生なのに、病院に入れてはいけないと、相反すること言った。

病院に入れたら、何も頭を使わず寝てるだけになる。医師も看護師もその患者さんだけ付きっきりになる事は不可能だから、実際には生かされているだけの状態になる。

どんどん認知機能は悪化をたどる。

と言われた。

なるほど。納得がいった。

あなたがお父さんと一緒に話したり、出かけたり、歩いたり、すれば、ある程度の認知機能の低下は防げると丁寧に説明してくれた。

素人の私が先生と全く同じ事を考えていたので、驚いた。

思わず先生にその事を伝え、私の持論を言った。

 

認知症を怖がらずに、人の寿命を越えるほどに、その認知度の低下を遅らせることは可能って事ですよね!

 

と伝えると、先生が、

「そうそう!その通り!」

と意外にも意見が一致したので嬉しくなった。

グループLINEには、物忘れ外来の報告を書いた。

物忘れ外来には、次回の検査予約を入れ、さらに調べてもらうつもりだった。

だが、2回目のコロナ感染と重なりそのままになってしまった。

 

今更だが、早奈サイバー事件前までは両親ともに認知機能は低下していなかった。

しっかりしていたからこそ、早奈に向かって、

「あなたが帰りなさい!」

と叱ってくれた。

 

第5話 早奈サイバー攻撃事件

 

早奈サイバー事件から半年で、一気に両親の認知機能が低下し、その後1年半で両親は下記の症状ほぼ全部が全部当てはまるようになっていった。

 

▶記憶障害:
数時間前にあったことを忘れてしまう
同じことを何度も言ったり、聞いたりする
人の名前や物の名前を忘れる
 

見当識障害:
今日が何月何日の何曜日なのかわからない
いつも通う道で迷子になる
昔の事を最近の出来事と思う

 

▶理解力・判断力の低下:
これまでできていた手続きなどができなくなる
人に物事を説明することが難しくなる
テレビ番組など興味がなくなる

 

認知症になると感情は残るのだろうか?
認知症が進行すると物事の前後の事実関係は忘れてしまう。

だが、その時感じた感情は心に強く残る。

「失敗した内容」は忘れてしまうが、

「怒鳴られた・怒られた」という感情だけは残る。

「あの人は怖い、すぐ怒る、嫌いだ」感情だけが残る

と、信頼関係を築けなくなる。

 

父は私や娘の顔を見ると必ず、嬉しそうな顔をして

「今日はどこに行こうか?」

と言ってくれる。

私や娘の顔を見たら嬉しい。

一緒にどこかに出かける。私を信頼してくれ、私が決してドナリチラシする人でない事はわかってくれていたと思う。

 

認知症の人に言ってはいけない言葉

「否定する」
「強制する指示」
「急がせる」
「尊厳を傷つける」
「激励し過ぎる」

全部が妹たちに当てはまる気がするのは私だけだろうか。

あの、「ピンクのバインダー」に書かれている事実。

 

第82話 ピンクのバインダー ①

 

第83話 ピンクのバインダー ②

 

そんな対応をした妹たちに対して、父の気持ちは一体どうだったのだろうか。

 

認知症

もしも自分がなったらと思うと怖い。

他人事では決してない。

記憶がどんどん消えていく不安。

いずれ物事の前後がわからなくなる。

失禁、おむつ、命令される。

自分の意志で動けない。

介護される立場になる。

 

両親の後ろ姿と妹たちの酷い対応を目の当たりにして、色々と考えさせられた。

 

記憶を中心とした認知機能障害について調べるスクリーニング検査、「長谷川式簡易知能評価スケール」の発案者であり、認知症医療の第一人者であり、自らも認知症であると公表した、

精神科医の「長谷川 和夫」さんの著書 

「ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言」

の中にこういう言葉がある。

認知症は、やがて神様の元に行く死への恐怖を和らげる自然の摂理なんだ」

と。

 

 

認知症は恐ろしい病気だと思われがちですが、その本質は「暮らしの障害」です。それまで当たり前のようにできていた「普通の暮らし」ができなくなっていくのが特徴です。」

 

認知症になっても「人」であるのに変わりはないこと、この長寿時代には誰もが向き合って生きていくものだ」

 

認知症は、死への恐怖を和らげてくれる存在のような気がする」

両親の事だと思っているうちに、自分にもそういう時がいずれくるのかもしれない。

2024年現在、65歳以上の高齢者の約5人に1人が認知症だと言われている。

決して他人事ではない。

 

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第88話 不思議な力

私は霊感全くはない、

信仰もこれと言ってない。

但し「ひらめき」が起こる現象はとても不思議なのだが・・・。

 

今回の約2年の出来事の全ての発端は妹「早奈」という人物にあった。

とんでもない妄想と怨念、姉を限りなく逆恨みする気持ちの表れだった。

もしかしたら、姉のわら人形でも打ってたのかと思うほどだ。

 

おそらく私が考えと全く反対のことを妹たちは今でも考えているだろう。

 

悪の発端が姉だ。

父の財産を狙い、騙し取り10年間シラを切って返さなかった。

姉は、自分の行いによって因果応報の報いで哀れな末路を迎えるだろう。

姉は、恨まれるのが当たり前だ。

姉は恐ろしい女だ。

家族全員が地獄に落ちてほしい。

姉は、私達から何をされても文句が言えない。

制裁を加えられるべきだ。

 

逆に、私はそこまで妹たちを憎んでいない。

妹たちの行いは「間違えた行為」だが、だからといって人を憎んだりは絶対にできない。

「罪を憎んで人を憎まず」

(中国の孔子の言葉だそうだ)

両親に愛情いっぱいに育てられた私は、そういう考え方の出来ない人間なのだろう。

心の一番奥底で、

「やったことは悪いけど可愛い妹だからな」

という気持ちの方が大きくなる。

 

実は起こっている兄弟間のとてつもない終わりの見えない争いは全てがほぼ10年前、

私の「祖母が逝去した時期」に全ては織り重なってくる。

 

私の祖母は、98歳で亡くなった。

あと少し頑張れば100歳という年齢だった。

自分の建てた家を本当に大事にしていた。

末永く、子孫がその土地と家を受け継ぎずっと住み続けてくれることを心から願っていた。

「家を売ったら化けて出るからな!」

とよく言っていた。

祖母の家に住む気が全くなかったのに、両親は祖母と家を継ぐ約束をした。

祖母の言う家を継ぐという意味は、お墓を守り、お仏壇に手を合わせという意味も含むが、物体として存在する「大事な家」そのものを継ぐ、すなわちその家に住み続けてほしいという切なる願いがあったのだ。

だが祖母が亡くなると、その家と土地をあっさり売ってしまった。

父は臨時収入として3,000万円を得た。

詳細は全くわからないが、家を売って得たお金は、父は2人いる自分の兄弟に均等には分けなかった。実際にそのお金を騙し取ったと私が責められているのから間違いない。

 

それこそが、名奈が私を責めた言葉の「あぶく銭」だったのではないだろうか。

父には、自分が設計から携わった一軒家が既にあり、その家のローンは完済しており、老後充分に暮らせるほどの年金支給が毎月があった。

ちなみに、父の弟は父より8歳くらい年下だったと思う。

父の弟は持ち家を持っていなかったので、弟に譲るという選択肢もあった。

弟がもしも家を継いでいたなら時が経ち、家を建て直したとしても、祖母の願い通りにその土地に住み続けていたのではないか。その次の代の息子もその次の代の息子も存在するし。

逆に、実家のお家問題は?というと、父から昌幸(私の弟)に相続したとしても、次に息子が2人いるものの、すんなりと次の代に引き継がれるか?というとそうすんなりはいかない。

しかも・・・。もう時既に遅し。

祖母の家は他人が新しく建て替えて住んでいる。

 

とはいえ、父が得たお金を父が自分達のために使ったのだから、誰に何を言われることもないだろう。

私は祖母の実家を売った2,600万円を騙し取って返さない悪人だと兄弟から責められた。

妹から嫌われるのはいいとして。

妹だけでなく、弟、その旦那さん達、事情を知らない姪っ子達から、極悪犯人だという目で見られるのがすごく恥ずかしく嫌だった。

盗人のレッテルを貼られたまま自分の一生を終わるのはどうしても嫌だった。

 

名奈の次女がコンビニでバイトしていて、そこで見かけたことがあった。

私を見つけると奥に逃げ隠れた。

私の息子と話す機会があった時にも、明らかに悪人を見るような目つきで

「ちょ~。無理やから。関わりたくないから話しかけんとってや。」

と言われたらしい。

 

私と妹たちの揉め事で、結局家族と家族の問題になっていることも悲しいと思う。

 

だが、10年も前の事。

無理だと思っていた見つからないはずの証拠。

もうこれ以上、証拠はないというところまで集めた。

もうこれ以上、自分には出来ることがないところギリギリまで努力もした。

 

だが・・・。

 

妹たちにとっては、もはや2,600万円の行方はどうでもよくなっていた。

最初は一緒に犯人を捜そう!みたいな雰囲気をかもし出していたが、結局は犯人は私だと断定してそれで終わり。

痛くもかゆくもない。

 

姉をつるし上げることが彼女たちの唯一の意義であり、父

を介護していく中での「生き甲斐」だった。

 

鼻息荒く異常に興奮し、ハッ!ヒッ!と異様な息の切らし方でドナリチラス。

提案した話し合いはことごとく事前に阻止された。

 

「不思議なこと」

祖母が亡くなった10年前が全てのきっかけになっている。

 

① 「ひらめき」によって父との10年前のメッセージが出てきた

② 私のWEB通帳がギリギリ10年前まで記録が引き出せた

③ 私のiphoneの一番古い記録が、何故か10年前から始まっている

④ iphoneの一番最初写真が、2012年11月5日の写真

 

何なのだろうか?

すべてが10年前に繋がっているのが妙に不思議すぎる。

奇妙な因縁をどうしても連想してしまう。

運命のイタズラなのか、そうなるべき運命だったのか。

 

少しでも時期がずれていたら、何も記録が残らなかった。

あと半年早かったら父の脳力は、この数々の疑問にハッキリ答えられる状態だった。

 

父こそが頼みの綱だった・・・。

一言、私に貸したお金の金額、以前の経緯、がしっかりと話せる時期だったら。

早奈が「私達家族に来るな!」と言った半年前なら父がハッキリ答える事が可能だった。

 

↓ iphoneのアルバムの一番最初の1枚は、

銀行で支払った現金2,300万円の写真

 真ん中 振込用紙の写真

 右上が 父の通帳の写真

 

全てがそこから始まっているのだ。

奇妙なことに・・・。

 

 

いつも食卓を囲んで父が言っていた。

「僕は、娘達が近くに住んでいてくれて集まってくれる。こうやって、みんなで楽しく食事が出来ることが一番幸せだなぁ。」

と。

もしも、神様がこの世にいらっしゃるのなら、4人もいる兄弟が、老い先の短い両親に対して、

「仲良く介護を分担し両親に寄り添えるのか?」

または?

「いがみ合いながら悲しい結果をたどるのか?」

試されたのかな?

と思ってしまう。

 

神様は、もしかしたら過去に亡くなった自分達のルーツをたどるご先祖様なのかもしれないと思ったりもする。

 

ちなみに、一部始終あったことをブログに書こうと思い立ったこと

はてなブログに書こうと思ったのも

実は、「ひらめき」に導かれたことによる。

「ひらめき」こそが、そのご先祖様の私に気づかせてくれる「力」なのだろうか?

 

ひらめき ①

ひらめき ②

ひらめき ③

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